古代エジプト美術
紀元前3000年から始まったエジプト第1王朝から紀元前332年にアレクサンドロス3世によって滅ぼされるまでの古代エジプト時代に、ナイル川のほとりで受け継がれてきた文明の絵画、彫刻、建築などの遺物。
古代エジプト美術
平面芸術
絵画、レリーフ等
エジプトの絵のスタイルは、約2500年もの間、ほぼ同じスタイルで描かれ続けてきました。
大きな特徴は、正面を向いた胴体に、横向きの顔と両足という固定したスタイル。直立し、凝固したようなポーズはファラオの神々しい姿を表し、描かれている、「静」の美は古代エジプト人の美意識の中心をなすもので、永遠性と結びついていました。
技法的には、岩山を穿って築いた墳墓の壁画などは漆喰により調整し、その上に描く方法が一般的でした。
顔料は色褪せることのない強い日差しに耐えられるように選択された鉱物性の粉末を玉にし、使うときにはこれを砕き、少量のゴムを混ぜた水に溶かして描きました。主色はオーカー系の赤・黄・褐色で青・緑系は酸化銅から、黒は煤から作られました。
主なルール
- 頭や胴体、足は一定の比率で描く。
- 地位の高い人物は、より大きく描く。
- 顔は横顔とするが、目は正面を向いて描く。
- 肩、胸、腕は正面を向けて描くが胴体と足は横向きとする。
- 足は左右の区別が付くように描き分けない。土踏まずを描く場合には、両足に描く。
- 遠近法を使わないが、集団を描くときには上下左右にずらして、少しずつ重ねて描く。
中王国時代
エジプト第11王朝ファラオ・メンチュヘテプ2世の墓(在位:紀元前2060 – 紀元前2010年頃)
エジプト第12王朝ファラオ・センウセレト2世の墓(在位:紀元前1897 – 紀元前1878年頃)
第2中間期
エジプト第13王朝ファラオ・アメニ・アンテフ4世の墓(在位: ? – 前1760年頃)
新王国
エジプト第18王朝ファラオ・ハトシェプスト女王のハトシェプスト女王葬祭殿
エジプト第18王朝ファラオ・アメンホテプ4世治世の高官・ネブアメンの墓の壁画
立体芸術(彫刻)
絵画のように平面に転写するという過程を踏まず、直接的に伝わる表現が出来るため比較的写実性に即した物になっている。この場合でもあまり動的な物は好まれない。また、型(フォルム)に嵌ったような作品が多いのも特徴で、個性というものが薄く均一な印象を与えるが、これは多くの物と比べてみたときに顕著である。
立体芸術のなかで一番有名なのはツタンカーメン王の黄金の仮面であろう。これは純金の打ち出しで出来ていて贅沢の粋を凝らした物といえる。ツタンカーメンは19歳の若さで亡くなっており歴史上、あまり大きな業績を残してはいない。しかし、他のファラオの墓はほとんど盗掘されてしまっているのに対し彼の墓は完成以来ほとんど破損がないので、今では最も有名かつ貴重なエジプト遺産となっている。
初期王朝
エジプト第1王朝ファラオ・ナルメル(在位:紀元前3125 – 紀元前3062年頃)の「ナルメルのパレット」
エジプト第19王朝ファラオ・ラメセス2世(在位:紀元前1279 – 紀元前1212年頃)
新王国
エジプト第18王朝ファラオ・アメンホテプ3世 彫刻の頭部
エジプト第18王朝ファラオ・ツタンカーメンの仮面
ファイアンス、陶器、ガラス
中王国
エジプト第12王朝ファラオ・センウセレト2世治世のネックレス
新王国
エジプト第18王朝ファラオ・アメンホテプ3世治世のウシャブチ(葬祭用)
パピルス
新王国
エジプト第19王朝ファラオ・セティ1世に仕えたフネフェルの墓
第3中間期
エジプト第21王朝ファラオ・プスセンネス1世、プスセンネス2世の墓
アマルナ美術
新王国
エジプト第18王朝ファラオ・アメンホテプ4世は、伝統の多神教アメン信仰を廃して一神教のアトン神を立てるという宗教改革を断行した。これをアマルナ宗教改革と呼ぶ。
アトン(「アトンに愛される者」の意、イクナートン)と名乗り、自身の姿を奇形に描かせるなど芸術上でも変化を誘導した。この流れに沿った様式はアマルナ様式と呼ばれ、人物の柔弱さ、人間的な叙情性、細かな装飾性が特徴である。ツタンカーメンはイクナートンの後継だったため、彼がアトン信仰からアメン信仰に戻したファラオだったにも関わらず王家の谷にある墓からはアマルナ様式のものが多く出る。様式をよく表しているものとしては同王墓から出た黄金の玉座があり、王と妃を表した人物の体格は家庭的な柔らかさがある。
アマルナ改革は急進的すぎたせいもあり神官達の猛反発を受けて結局挫折し、新しい様式もエジプトの伝統に乖離しすぎていたため一時限りのものに終わった。
アメンホテプ4世の娘をモデルとした
プトレマイオス朝
紀元前332年、マケドニアのアレクサンドロス3世に征服された後、プトレマイオス朝が始まり、ヘレニズム文化の様式となる。