箱式石棺墓 弥生時代の墳墓と埋葬一覧
箱式石棺墓 (福岡野方中原遺跡)

弥生時代の墳墓と埋葬一覧

一覧・まとめ


弥生時代の墳墓と埋葬一覧

縄文人が住居のそばに墓地を作ったのとは対照的に、弥生人は集落の近くの共同墓地に遺体を埋葬した。遺体の姿勢から、身体を伸ばした伸展葬が多くなる傾向が読み取れる。
北部九州では、甕棺かめかんという大型の埋葬専用の土器に遺体を入れて葬る甕棺墓かめかんぼが発達した。中国地方では、板石を四角く組み合わせた箱式石棺墓はこしきせっかんぼが主流をなした。
木棺を埋めた周りに四角く溝をめぐらし、掘り上げた土で塚を築いた墳丘墓ふんきゅうぼ方形周溝墓ほうけいしゅうこうぼ)は北部九州や近畿地方の前期に出現し、中期には中部・関東地方にまで広がった。
中部・関東地方で方形周溝墓が広まる以前は、いったん遺体を埋め、骨にしてから取り出し、壺に納めて再び葬る再葬が行われていた。
このように、弥生時代の墓は、地方によりさまざまな形態をとることに特徴がある。

弥生時代の墳墓と埋葬一覧

弥生時代の3期区分

紀元前5世紀弥生前期北部九州で紀元前700年ころ始まった水稲耕作が西日本に伝わり、やがて東北地方の一部まで伝わる(砂沢遺跡)。湿地が中心。木の鍬・鋤を使用。
環濠集落出現(前期〜後期)
紀元前2世紀弥生中期高地性集落出現(中期〜後期)
小国の分立(『漢書』地理志, 『後漢書』東夷伝)
墳丘墓出現(吉野ヶ里遺跡)
紀元前1世紀弥生後期石器は減少し、鉄製工具普及。
鉄製の刃の鍬・鋤を使用
乾田の開発
邪馬台国連合の形成(『志』倭人伝)
大型の墳丘墓出現
3世紀

弥生時代 墳墓と埋葬

墓名写真説明縄文時代弥生時代古墳時代
土壙墓土壙墓土を掘って棺を使用せずに遺体を埋める墓のことで、古今を通じて普遍的な埋葬方法。
弥生時代にも全期をとおして日本中に見られた。
弥生時代には手足を伸ばして葬る伸展葬が主流で、集落近くの共同墓地に埋葬された。
甕棺墓甕棺墓北部九州では成人に特製の大型甕棺を使用。
盛り土はほとんどなく、甕棺は斜めに置かれ、屈葬が多い。
副葬も見られる。楽浪郡に使者を送った王の墓とみられる甕棺には
青銅鏡・ガラス・璧など漢からの贈り物が副葬されている。
支石墓支石墓大型の平たい石を数個の支石で支え、その下に土壙墓(墓穴)や
箱式石棺墓、甕棺墓などの埋葬施設がある。
支石墓は朝鮮半島に広く分布し、日本では弥生前期・中期の北部九州に多い。
箱式石棺墓箱式石棺墓板状または塊状の石で四方を囲み、遺体を入れる大きな箱形の空間を作り、
上を同様の石で覆ったもので、西日本に多い。
方形周溝墓方形周溝墓弥生時代前期から古墳時代まで続く墳丘墓。
約10m四方で、周囲を1〜2mの溝で囲む。盛り土された中央部に土壙(墓穴)を掘って埋葬した。
墳丘墓墳丘墓弥生時代の墳丘をもつ墓を、古墳と区別して墳丘墓と呼ぶ。
弥生時代中期後葉から後期前半: 墳丘規模に格差が広がり、墳長20メートル以上の大型墓が出現する。
四隅突出型墳丘墓四隅突出型墳丘墓斜面や裾の部分に石を並べ、四隅が突出した形の墳丘墓。
島根・鳥取・広島などを中心に分布。墳丘斜面に貼石がある。
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