項羽と劉邦の戦いにまつわる故事成語
項羽と劉邦の戦いにまつわる故事成語
現代にも通じる教訓が数多くあり、項羽と劉邦の戦いの教訓がいかに後世の人々にとって影響を与えてきたかを物語っている。
- 国士無双
- 国に二人といない才能の持ち主を表す劉邦軍で特筆すべき活躍を見せた韓信のことを評した言葉。
- 背水の陣
- 逃げ場のない状態で物事に必死で取り組むことを表す。韓信軍が川を背にして必死に戦って相手を撃破したことに由来する。
- 敗軍の将は兵を語らず
- 背水の陣で敗れて捕虜になった人物が言った言葉。
- 烏合の衆
- 劉邦軍を揶揄(やゆ)する言葉として生まれた言葉。
- 先んずれば人を制す
- 先手必勝を意味する。殷通が項梁に言った言葉。
- 四面楚歌
- 周囲が敵だらけの状況を指す。劉邦との戦いで漢軍の陣営から故郷の楚の歌が聞こえてきたことで、楚の人間の多くが敵軍に投降したと思って項羽が嘆いたことに由来する。
- 焚書坑儒
- 秦王朝が統治していた時代に発生した思想弾圧事件。焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)とは、「書を燃やし、儒者を坑する(儒者を生き埋めにする)」の意味。
- 歯牙にも懸けない
- 歯牙(しば)の間(かん)に置く(問題にする)という言葉から出て、問題にしない、相手にしないという意味。始皇帝亡きあと、二世皇帝
- 乾坤一擲
- 天下をかけて一度サイコロを投げる意味から、運を天にまかせて、大勝負をすることを表す。「乾坤(けんこん)」は天と地「一擲(いってき)」はひとたび投げること。
800年頃、韓愈(かんゆ)が「鴻溝」を通過した時、項羽と劉邦の戦いを懐かしんで詠んだ詩・『鴻溝(こうこう)を過(す)ぐ』という五言絶句の詩から由来。
竜疲れ虎困じて川原に割ち、億万の蒼生、性命を存す。誰か君主に馬主を回らすを勧めて、真に一擲乾坤を賭するを成せる。
紀元前203年龍は疲れ、虎は困(くる)しむ
状態に陥っていた劉邦と項羽は、「鴻溝」を境として、西を漢(劉邦)、東を楚(項羽)が治めるように取り決めた。天下を二分したことによって戦いはやみ、億万の民の生命は保たれ
るはずだった。戦闘態勢を解いて東へ帰って行った項羽を見送り、劉邦も西へと帰ろうとしたが、劉邦配下の張良(ちょうりょう)と陳平(ちんぺい)が「漢は天下の大半を保有し、諸侯はみな味方しております。今や楚の兵は疲れはて、食料は乏しくなってます。今討たなければ、虎を養って患(うれ)いを遺すというものです」と劉邦に詰め寄り、西へ帰ろうとしていた劉邦の馬首を東へ回(めぐら)せ
た。劉邦は、一擲(いってき)を成(な)し、乾坤(けんこん)を賭(と)す
ことになった。翌年(紀元前202年)垓下の戦いで項羽は破れ、劉邦の漢王朝成立となる。 - 捲土重来
- 一度戦いに敗れた者が再び勢いを盛り返して攻め寄せてくること。
840年頃、杜牧(とぼく)が垓下の戦いに敗れた項羽が、烏江まで逃れてきた時のことを詠った「題烏江亭」から由来。
垓下の戦いで漢の劉邦と天下を争った楚の項羽は、争いに敗れて悲劇的な最期をとげたが、もし項羽が故郷に帰って、再び兵を集めて劉邦との戦いを続けていたらどうなっていたかはわからなかったということを詩にして、項羽の死を惜しんでいる。
江東(こうとう) 師弟才俊(していさいしゅん)多し、捲土重来(けんどちょうらい)、未だ知るべからず