戦国時代(中国) 戦国時代 戦国諸国の版図 地図 11.中国の古典文明(初期王朝と春秋・戦国時代)
戦国時代戦国諸国の版図地図 ©世界の歴史まっぷ

11.中国の古典文明(初期王朝と春秋・戦国時代)

2. アジア・アメリカの古代文明


11.中国の古典文明(初期王朝と春秋・戦国時代)

  • 1. 中国文明の発生
  • 2.
  • 3. 周
  • 4. 春秋・戦国時代
  • 5. 戦国時代の中国

11.中国の古典文明(初期王朝と春秋・戦国時代)

世界史対照略年表(前3000〜前200)
世界史対照略年表(前3000〜前200)©世界の歴史まっぷ

1. 中国文明の発生

中国では紀元前6000年頃までに、黄河流域でアワなどの雑穀を、長江流域で稲を中心とする農耕が始まっていた。黄河の中・下流域では、紀元前5000年頃から文明が生まれた。初期は西アジアとの関係が推測される彩陶文化で、発見された場所から仰韶文化ぎょうしょうぶんか(ヤンシャオ文化)ともいわれる。後期は黒陶文化で、発見された場所から竜山文化りゅうざんぶんか(ロンシャン文化)ともいわれ、れきなどの三足土器に特色がある。この時代になると氏族制的なゆうといわれる村落共同体が発生した。

2. 殷

いんは現在確認できる最古の王朝で、殷墟いんきょは河南省安陽あんよう市で発見された。この王朝は王都の下に多くの邑が従属する形で成り立った国家(邑制国家)であり、その政治は典型的な祭政一致の神権政治であった。亀甲や獣骨を焼いて神意を占い、その結果を記したものが甲骨文字で、これが漢字の原型となった。

西周 周の制度と文化 殷・西周版図地図
殷・西周版図地図 ©世界の歴史まっぷ

3. 周

渭水いすい流域よりおこった周(王朝)は、紀元前11世紀頃、殷を滅ぼし鎬京こうけいを都とした。周の政治制度は封建体制とよばれ、一族・功臣や各地の土着の首長に封土(領地)を与えて世襲の諸侯とし、貢納と軍役の義務を負わせた。周王や諸侯の下にはけい大夫たいふとよばれる世襲の家臣がいて、それぞれ領地が与えられた。周王から士に至る支配階級は、共通の祖先に対する祭礼を基礎として結びつき、支配者氏族として宗族そうぞくを形成した。宗族は本家の家長を中心に団結するために、親族関係の秩序や祭祀のしかたを定めた宗法そうほうによって維持された。やがて周は弱体化すると犬戎けんじゅうの攻撃を受け、紀元前770年に都を東方の洛邑らくゆうに移した。これを周の東遷という。

4. 春秋・戦国時代

春秋時代になると、周(王朝)は伝統的権威を保つのみとなり、有力諸侯が尊王攘夷そんのうじょうい(周王を尊び、異民族の侵入を討ちはらう)をとなえ、天下に号令した。このような有力諸侯を覇者はしゃという。紀元前403年、しんが臣下によってかんちょうに3分され、いわゆる戦国時代(中国)に入り、諸侯は富国強兵策を推進し抗争を続けた。戦乱の続くなかで古い権威や伝統にかわり、新しい価値観がもとめられた。そのため諸子百家しょしひゃっかとよばれる多くの思想家や学派が現れた。

春秋時代末期の孔子こうしは、家族内の秩序や愛情が天下に広がれば、理想的な社会が実現されるとした。彼の学派を儒家じゅかといい、その思想は性善説を主張した孟子もうしや性悪説を主張した荀子らに受け継がれていった。しかし墨子ぼくしは、孔子の説く愛に反対して、血縁をこえた無差別の愛(兼愛)を説いた。また儒家の徳治主義に対し、商鞅しょうおう韓非かんぴらの法家ほうかは、強大な権力をもつ君主が法により統治を行うべきだと主張した。一方、老子ろうし荘子そうしを代表とする道家どうかは人為的な道徳・儀礼を排して、あるがままの状態にさからわない無為自然を説き、すべての根源である「どう」への合一をもとめた。

春秋・戦国時代、社会・経済は劇的な変化をとげた。その最大の要因は鉄製農具の使用や、牛耕農法の普及で、これにより農業生産力は飛躍的に増大し、商工業なども発達し刀銭とうせん布銭ふせんなどの青銅の貨幣が流通した。
このような変化は、農村において土地の私有化を進展させた。諸侯は領土を拡大し効率的な領土支配をめざしたので、国家形態も従来のゆうの集合体(邑制国家)から領域全体を支配する領域国家(領土国家)へと変質した。このことは土地を私有化した農民の把握はあくとともに、領域の支配を確立するための制度が必要となった。秦は孝公(秦)こうこうのとき法家商鞅を起用し、行政機構の改革、農村支配に成功し強大化した。

5. 戦国時代の中国

戦国時代 紀元前315年頃 戦国諸国の版図

紀元前315年頃戦国時代地図
紀元前315年頃戦国時代地図 ©世界の歴史まっぷ

戦国時代 紀元前250年頃 戦国諸国の版図

社会の変動 紀元前250年頃戦国時代地図
紀元前250年頃戦国時代地図 ©世界の歴史まっぷ

戦国7雄

戦国七雄

建国年滅亡年国都始祖滅亡原因最初の爵位分封者
紀元前403年紀元前230年陽、新鄭景侯秦により滅亡侯爵威烈王
紀元前403年紀元前228年邯鄲烈侯秦により滅亡侯爵威烈王
紀元前403年紀元前225年安邑、大梁文侯秦により滅亡侯爵
344年:王
威烈王
?紀元前223年丹陽、郢、陳、寿春熊繹秦により滅亡子爵成王
紀元前1100年紀元前222年召公秦により滅亡伯爵武王
紀元前386年紀元前221年臨淄太公秦により滅亡侯爵
344年:王
安王
?紀元前206年雍、咸陽非子反秦軍により滅亡伯爵孝王?
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