大航海時代の背景 35.ヨーロッパ世界の拡大
ビクトリア号 世界周航を目指したフェルディナンド・マゼランの船隊の1隻。©Public Domain
35.ヨーロッパ世界の拡大
  • 1. 新航路開拓の背景
  • 2. 大航海時代の幕開けと太平洋航路の開設
  • 3. 世界の一体化の始まり
  • 4. 大航海時代

35.ヨーロッパ世界の拡大

1. 新航路開拓の背景

新航路開拓は偶然におこったものではなく、いくつもの歴史的要因と条件にもとづいている。十字軍の遠征、13世紀のモンゴルとの接触による東西交流の促進、マルコ・ポーロの『世界の記述(東方見聞録)』などをつうじて東方への関心と憧れが高まった。しかし、オスマン帝国が地中海に進出し貿易に介入したため、ヨーロッパ人は東地中海を通らないで、金や、ヨーロッパで高価に取引された香辛料を直接原産地の東南アジアから輸入しようとし、新しい通商路の開拓を切望した。さらに遠洋航海が技術的にも可能になっていた。

2. 大航海時代の幕開けと太平洋航路の開設

15世紀初め「エンリケ航海王子」は、アフリカ西岸の探検に乗り出していた。さらに、1488年ポルトガルのバルトロメウ・ディアスは アフリカ南端の喜望峰に達し、さらに1498年にヴァスコ・ダ・ガマはインドのカリカットに到達した。その頃ジェノヴァ出身のクリストファー・コロンブスは天文学者トスカネリの地球球体説を信じ、西回りでインドに行けると考え、スペイン女王イサベル(イサベル1世(カスティーリャ女王))の援助を受け、1492年、サンサルバドル島に到達した。彼は最後までそこが「インド」の一部だと思い込んでいたため、先住民を「インドの人」(インディオ(インディアン))とよんだ。その後、フィレンツェ出身のアメリゴ・ヴェスプッチの探検によって、そこが新大陸であることがわかり、その名にちなんで「アメリカ」と名付けられた。

一方、ポルトガル人カブラル(ペドロ・アルヴァレス・カブラル)はブラジルに漂着してこれをポルトガル領と宣言し、またスペイン人バルボア(バスコ・ヌー二ェス・デ・バルボア)はパナマ地峡を探検して1513年に太平洋を発見した。さらにポルトガル人フェルディナンド・マゼランはスペイン王の援助を得て1519年にスペインを出発し、南アメリカ南端を経て太平洋を横断し、1521年にはフィリピン諸島に到達した。彼はそこで現地の部族紛争に巻き込まれ死亡したが、彼の部下は喜望峰を回って翌年スペインに戻った。この史上最初の世界周航によって、大地が球形であることが実証された。

それ以後、ポルトガルはアジア貿易に力を注ぎ、一方、スペインは探検に続いて「征服者」(コンキスタドール)の率いる軍隊をこの地に送り込んだ。まずエルナン・コルテスは1521年にアステカ王国を破ってメキシコを征服し、続いてフランシスコ・ピサロは1533年、南米ペルーに栄えたインカ帝国を滅ぼした。スペインが中南米に安定した拠点を獲得したことは、太平洋航路を開設する契機となった。その後、メキシコのアカプルコとフィリピンのマニラ間に年1回ガレオン船が就航することになった。

3. 世界の一体化の始まり

アメリカ大陸から流入した多量の銀は、ヨーロッパ大陸で価格革命をひきおこし、固定地代収入に頼る旧領主層の没落をまねき、封建社会の解体を促進した。さらに世界商業の中心が、地中海から大西洋にのぞむ国々へ移り、イタリア諸侯都市の没落をまねいた。このような世界商業の構造変化を商業革命という。世界商業圏の形成は、広大な海外市場を開くことで、めばえていた資本主義経済の発達を促した。一方、中南米は植民地とされ、先住民(インディオ)が酷使と伝染病のため激減したので、かわりにアフリカ黒人が求められ、大量に海を渡ることになった。こうしてヨーロッパは扇の要のようにアメリカ大陸・アフリカ・アジアを結びつけた。世界の一体化はヨーロッパを軸としてこの時代に始まった。

4. 大航海時代

大航海時代の地図

ヨーロッパ人の東アジア進出 ポルトガルの植民地と貿易 大航海時代 大航海時代地図
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