57.帝国主義の成立
57.帝国主義の成立流れ図 ©世界の歴史まっぷ

57.帝国主義の成立

  1. 資本主義の変質と独占資本主義
  2. 帝国主義の成立
  3. 列強の植民地領有面積

57.帝国主義の成立

1. 資本主義の変質と独占資本主義

資本主義の変質と独占資本主義
資本主義の変質と独占資本主義 ©世界の歴史まっぷ

産業革命を達成したイギリスは、豊富で安い工業製品を世界に輸出し「世界の工場」とよばれる地位を占め、世界の政治・経済から文化までリードした(パクス=ブリタニカ)。ヨーロッパの資本主義は1870年ごろまで自由主義と好況を謳歌したが、その頃から世紀転換期にかけて、産業構造は大きく変わりはじめた。高度の科学技術に支えられて、石油・電力を動力源に鉄鋼・化学など重化学工業が発達し、新しい冶金やきんや化学合成により樹脂・繊維・染料が生みだされた。この技術革新を第2次産業革命という。この技術革新には、大規模な生産設備と資本が必要であった。そのために世界的規模で株式会社が普及した。企業集中は産業分野や銀行でもおこり、少数の巨大企業が市場を支配するようになった。

ところがヨーロッパでは1870年代の半ばから大不況に陥った。その背景には、世界の鉄道建設が一段落して関連産業が停滞し、また鉄道・汽船の交通網の発達によって、南北アメリカ・ロシアなどから安価な農作物が流入して西欧の農業が打撃を受けた、という事情があった。企業はカルテル(企業連合)・トラスト(企業合同、主としてアメリカで発達)を結成して対応した。イギリスは電気・化学のような新産業をはじめとする工業力でアメリカとドイツに追い抜かれ、国際競争力が低下した。そのため、大不況を打開するために「世界の銀行」として金融業や海運で力をふるいつつ、植民地・勢力圏の維持拡大に努めた。フランスも銀行の資本力を武器に帝国主義政策を追求し、1880年代からは植民地拡大政策をとり大植民地をつくりあげた。

2. 帝国主義の成立

帝国主義の成立
帝国主義の成立 ©世界の歴史まっぷ

独占資本の形成がめだったのが、後発の資本主義国のドイツ・アメリカなどで、資本輸出の場をもとめて植民地拡大にのりだした。特に19世紀末からは、ドイツの世界政策に刺激されて列強はそれぞれ軍備競争に血道をあげ、これによって経済が再び好況に転じたのである。やがて列強の間の衝突は避けられなくなった。産業構造の転換によって生じた社会の特徴は、事務や営業を担当する新中間層(ホワイトカラー)の登場であり、彼らを中心とする大衆社会の出現である。

第一次世界大戦前の半世紀間、ヨーロッパ中心部では戦争はおこらず、19世紀末から好景気が持続して、ヨーロッパ諸国は一大繁栄期をむかえた。中産階級に支えられて世紀末文化といわれる成熟した市民文化が広がり、大戦前の十数年間は「ベルエポック」(すばらしい時代)とよばれ、近代文明や科学への信頼が強まり、楽観的な進歩観が生まれた。

帝国主義国の政府は、社会主義や労働運動のもりあがりに対抗して、排他的なナショナリズム(民族主義・国民主義)をあおり、海外進出によって得た富を、社会政策という形で多少とも国民に還元した。どこの国でも食生活の改善と公衆衛生の普及によって死亡率がさがり、人口が爆発的に増えたので、海外植民が奨励され、ヨーロッパから膨大な人々が南北アメリカ・アフリカ・オセアニアなどに新天地をもとめて移住した。こうして資本輸出と民衆の移民(人口移動)という形で世紀末ヨーロッパは外にむかったのである。

第2次産業革命が進行すると、欧米先進国では大衆的な労働運動や社会主義運動が盛んになった。1889年、パリに各国の労働運動組織が集まり、第2インターナショナルが結成された。第2インターナショナルでは、ドイツ社会民主党が中心となり、帝国主義や軍国主義への反対運動を組織した。しかし、社会主義者のなかにも、植民地統治を認めたり、自国の利害を重視する傾向が現れたため、その結束は乱れはじめ、第一次世界大戦の開始とともに事実上解散した。

3. 列強の植民地領有面積

列強の海外植民地領有面積の比較図
列強の海外植民地領有面積の比較図(1914年)©世界の歴史まっぷ

イギリス:33.5%, ロシア:22.8%(全体で), フランス:10.6%, アメリカ:0.3%, ドイツ:2.9%, 日本:0.3%

帝国主義の成立流れ図

57.帝国主義の成立
57.帝国主義の成立流れ図 ©世界の歴史まっぷ

参考

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