平安王朝の形成
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平安王朝の形成
唐風文化と平安仏教
1 平安初期の文化(平安遷都〜9世紀末頃まで)
嵯峨天皇・清和天皇時代の年号を用いて●●●光仁・貞観文化と呼称
2 文化的特徴
- 文章経国思想 文芸を中心に国家の隆盛をめざす思想
- ①唐風重視:嵯峨天皇、平安京の殿舎を唐風に改名、宮廷儀式を唐風化
- ②漢詩文重視:宮廷や貴族の教養として漢文学を重視 漢文学の発展
- ③学問:大学における教科としての紀伝道(文章道)などの重要性が増大
- 仏教における密教の隆盛 南部六宗などの地位は低下
3 具体的事象
- 漢文学
- 学問
- ①唐風重視の影響 大学では儒教を学ぶ●●●明経道、漢詩文などを学ぶ●●●紀伝(文章)道を重視する傾向が顕著
- ②大学別曹:各貴族が子弟のために設けた大学付属の寄宿施設
- 藤原氏の●●●勧学院、和気氏の●●●弘文院、橘氏の●●●学館院、在原氏や皇族の●●●奨学院などが有名
- ③私的教育施設:空海が東寺の近隣に設けた●●●綜芸種智院 庶民にも一部開放
- 平安仏教と密教の隆盛 南部諸宗の政治介入を嫌い、新仏教を支持
- ① 天台宗:法華経を根本経典とする宗派(桓武天皇らが保護)
- a ●●●最澄(伝教大師)が入唐し●●●延暦寺を開山 独自の大乗戒壇創設をめざす 最澄死後に実現
- b 南部諸宗の反対に対し最澄は『顕戒論』を著し反論
- c 最澄の死後に急速に密教化 天台宗の密教を●●●台密と称す。
- 3代●●●円仁:延暦寺を拠点 ●●●山門派。著書『入唐求法巡礼行記』
- 5代●●●円珍:園城寺(三井寺)を拠点 ●●●寺門派
- ② ●●●真言宗:経典中心の顕教に対し、密教の呪法の伝授・習得による悟りを重視(密教)、その実践である加持祈祷により厄災を避け現世利益をめざす
- a 空海(弘法大師)が入唐、帰国後、紀伊の高野山に●●●金剛峰寺を開山
- b ●●●嵯峨天皇が空海に●●●教王護国寺(東寺)(天台宗の台密に対し●●●東密と呼称)を下賜 京内の根本道場に発展
- c 空海の著書
- 『三教指帰』:儒教・道鏡・仏教を比較し、仏教の優位を論説
- 『十住心論』:人間の境地を10段階に分け、最高境地への道筋を説く
- ① 天台宗:法華経を根本経典とする宗派(桓武天皇らが保護)
- 神仏習合の風潮
- ① 奈良時代からみられた神仏習合の風潮が進展(神宮寺や神前読経など)
- ② 神像彫刻:仏像に影響され、神社の神々を木像などに表現
- ③ 修験道:山岳修行により呪力を体得する信仰(修行者 = 山伏)
天台・真言宗も山中が修行道場 従来の山岳信仰と結合。奈良の大峰山、北陸の白山など各地に山岳修行の場ができる。
- その他:現存最古の仏教説話集である『日本霊異記』を景戒が著述