60.ラテンアメリカ諸国の従属と抵抗
- ラテンアメリカ諸国の独立
- 前途多難な国家建設
- メキシコ革命
60.ラテンアメリカ諸国の従属と抵抗
1. ラテンアメリカ諸国の独立
18世紀末よりカリブ海のフランス領イスイスパニョーラ島西部で独立運動が始まり、1804年に黒人共和国ハイチが独立した。ハイチでは独立と同時に黒人奴隷制が廃止された。その影響を受けて、イギリスは奴隷貿易を、さらにのち植民地での奴隷制を廃止した。また当時、黒人奴隷制を維持していたアメリカ合衆国やブラジルなどにも、大きな衝撃を与えた。
ラテンアメリカでは、1810〜20年代にかけて多くの国が独立した。これらの独立は、ナポレオン戦争の影響でスペインの支配力が弱まったことをきっかけに、南米の北部ではシモン=ボリバルによって、南部ではサン=マルティンらによって、メキシコでは神父イダルゴの蜂起などをへて、その愛弟子ホセ=モレロスにひきつがれ、これらの独立は達成された。その背景には、工業製品の輸出拡大をねらうイギリスや、1823年にアメリカ大陸とヨーロッパとの相互不干渉をとなえるモンロー教書を発表したアメリカが、諸国の独立を支持したことも影響していた。独立後のラテンアメリカ諸国では、独立運動の中心となった植民地生まれの白人で大地主層のクリオーリョが、欧米諸国に原料や食料を輸出し、工業製品を輸入する自由貿易政策を採用した。その結果、ラテンアメリカ諸国自体の工業化は大幅におくれることになった。ただし、文化面では宗主国の文化、インディオ文化、そして黒人文化の融合によって、独自のラテンアメリカ文化が形成された。
2. 前途多難な国家建設
メキシコでは独立戦争をつうじて台頭した各地の軍閥(カウディーリョ)が権力を奪いあい、1828年から67年の約40年間に37の政権が交代した。1846〜48年のアメリカ=メキシコ戦争の敗北と、ナショナリズムの芽生えのなか、1855年に自由派が軍閥政権を打倒し、1858年フアレスによる自由主義政権が誕生した。この時代はラ=リフォルマ(改革)の時代で、資本主義発展の妨げになっている旧地主や教会勢力をおさえ、その財産や大土地所有の土地を没収した。そのため自由派(改革派)と保守派(カトリック教会が中心)の対立が激化した。保守派の反乱に乗じて1860年代にはフランスのナポレオン3世が内政に介入する事態が発生した。この干渉はアメリカの強い反対などもあって失敗に終わった。
自由派の軍人として活躍したディアスは、1876年のクーデタで権力を握り、長期間に及ぶ独裁政治を行った。軍事費を削減し、カウディーリョをおさえこみ、没収された教会財産の斬新的返還を行い、地主を保護し、外国資本を積極的に導入し、西欧化を推進した。そのため鉱工業は発展したが、極端な貧富の差をまねき、農民は貧窮した。3000家族の大地主が全土の1/2の土地を支配し、人口の99。5%の農民は一片の土地すらもたなかった。
19世紀末になると、欧米諸国の重工業化の進展による原料・食料需要の高まりや、鉄道・汽船の普及、冷凍技術の発達の結果、原料や食料の対欧米輸出が一層増加していった。アルゼンチンの牛肉、ブラジルのコーヒー、キューバの砂糖、チリの硝石などがその代表例であり、中米ではアメリカの、南米ではイギリスの経済的影響が大きかった。なかでもアメリカは1889年以来パン=アメリカ会議を定期的に開催して、ラテンアメリカへの影響力の拡大をはかっていった。アメリカはアメリカ=スペイン戦争(米西戦争)で独立したキューバの憲法に、自国の干渉権などを規定したプラット条項を入れさせて事実上の保護国とした。1903年にはパナマを独立させ、運河を完成させたが(1914年 パナマ運河)、運河地帯を支配下におくなど、強引なカリブ海政策を実行した。
3. メキシコ革命
メキシコでは、1910年に自由主義者のマデロはディアス独裁体制を打倒するため、反政府武装蜂起をよびかけ、メキシコ革命の口火を切った。そして農民指導者サパタやビリャもマデロの呼びかけに応じて革命に参加し、ディアスを追放した。しかし、マデロ政権の土地改革は不徹底だったため、農民の支持は得られず、軍人ウェルタによるクーデタで倒された。革命後も政変が続くなかで、アメリカのウィルソン政権が合憲的な政権の樹立を要求して海兵隊を派遣したが、メキシコ側の強い反発をまねき撤退した。その後、1917年には土地改革や勤労者の権利、政教分離、大統領権限の強化などをうたった民主的なメキシコ憲法が制定され、この革命はほかのラテンアメリカ諸国の動向にも大きな影響を与えた。