イタリア都市とその市民の生活
ルネサンス期のフィレンツェなどをみても、都市民の多数は細民と呼ばれた労働者階級であり、ルネサンス文化にかかわるのは数のうえでは少数の都市民であった。君主や富裕な商人は文化のパトロンとして、専門職の人々は著述家や学者として、職人たちは美術家としてルネサンス文化の担い手となった。
イタリア都市とその市民の生活
ルネサンスはまずイタリアの都市を舞台として展開した。イタリアは当時、国家としてまとまらず、多くの都市国家や小君主国に分かれていた。地中海貿易に関わるヴェネツィア共和国、ジェノヴァ共和国、ピサなどの海港都市は13世紀ころから、東地中海に進出して東ローマ帝国やイスラーム商人と取引をして、香辛料や奢侈品をヨーロッパに輸入し、莫大な富を蓄えていた。手工芸や工業で栄えたフィレンツェジェノヴァ、ミラノ公国などの都市もあった。フィレンツェは木彫りや象眼、金細工、絹織物工業も存在したが、毛織物工業が中心であった。ミラノは毛織物工業以外、武器製造業をはじめとする金属加工業で有名であった。ジェノヴァの絹織物、ヴェネツィアのガラス加工、造船業、印刷業もよく知られていた。
フィレンツェの メディチ家の銀行業のように、金融業はヨーロッパ全体を相手に活躍していた。15〜16世紀のイタリアはヨーロッパでもっとも都市化した地域で、人口15万をこえるナポリ王国、10万をこえるヴェネツィア、5万をこえるミラノ、パレルモ、ボローニャ、フィレンツェ、ジェノヴァ、ヴェローナ、ローマなどの都市があった。
ルネサンス期のフィレンツェなどをみても、都市民の多数は細民(popolo minuto)と呼ばれた労働者階級であった。ルネサンス文化にかかわるのは数のうえでは少数の都市民であった。君主や富裕な商人は文化のパトロンとして、専門職の人々は著述家や学者として、職人たちは美術家としてルネサンス文化の担い手となった。
芸術作品の注文主、すなわちパトロンは、君主や富裕な市民以外に都市の同職ギルド、社交的宗教的団体である同信会のようなものもあり、フィレンツェやヴェネツィアの共和国政府などの場合もあった。
ルネサンス期のイタリアは、都市共和国、小君主国、教皇領などに分裂し相互に対立し、都市内部では権力をめぐる党派抗争がくりひろげられ、外国勢力の介入を招いた。こうした政治情勢がルネサンス文化にさまざまな影響を与えている。