カトリックの改革
1545年〜1563年に開催されたトリエント公会議で旧教会の制度や聖職者の行為のなかで、明らかな腐敗や堕落した部分が反省され、総合宗教裁判所を設置するなど異端に対する取り締まりを厳しくし、新教の勢力拡大に対抗しようとした(対抗宗教改革)。1534年にイエズス会が設立され、新教に対抗し、カトリックのための闘争を展開した。
カトリックの改革
宗教改革運動の拡大は、カトリック内部にもさまざまなかたちでの反応を生みだした。中世的な封建社会の価値体系を支えていたカトリック神学や制度は再検討を迫られた。教会の制度や聖職者の行為のなかで、明らかな腐敗や堕落した部分が反省され、教義については根本的な部分は再確認され、カトリック内部の改革が進められた。これは対抗宗教改革と呼ばれるが、プロテスタントの宗教改革に対するカトリックの宗教改革ともいえる。
1545年から1563年にかけて開かれた南ティロルで開催されたトリエント公会議は、新旧両教会の調停をはかる目的であったが、新教側が出席を拒否し、実際はカトリックの立場を確認する場となった。会議では教皇の首位権、教会のおこなう秘蹟授与の儀礼、贖宥状の意義などカトリックの主要な教義が再確認された。しかし、贖宥状や秘蹟授与には金銭を徴収しないこと、俗人教育のための信仰問答集の作成をすることなど教会内部の粛清をはかった。また禁書目録を定め、総合宗教裁判所を設置するなど異端に対する取り締まりを厳しくし、新教の勢力拡大に対抗しようとした。1534年にスペインの軍人イグナティウス・ロヨラ(1491頃〜1556)とその同士により設立された新しい修道会であるイエズス会(ジェズイット教団)は、新教に対抗し、カトリックのための闘争を展開した。
スペイン人の兵士であったイグナティウスは、1534年フランシスコ・ザビエルらとともにパリでイエズス会を創立した。彼は1537年ローマに行き、活動を広め、1540年パウルス3世(ローマ教皇)よりイエズス会を公認された。「質素・純潔・服従」を綱領とし、カトリック精神を広めるために会員を全世界に派遣した。
イエズス会は教皇の認可をうけ、会士は教皇に対し特別の忠誠を誓い、厳格な規律をもつ軍隊的な組織をつくり活動した。ヨーロッパではいくつかの新教勢力地域をカトリックにひきもどすことに成功した。会士はアメリカ大陸やアジアなどに宣教師として派遣され、海外伝道活動にたずさわった。東洋伝道で日本に来たフランシスコ・ザビエル(1506頃〜1552)はイエズス会設立メンバーのひとりであった。
参考 山川 詳説世界史図録