一揆と打ちこわし
1782(天明2)年の東北地方の冷害から始まった飢饉は、翌年浅間山の大噴火も加わり、多数の餓死者を出す大飢饉となった(天明の飢饉)。その被害はとくに陸奥でひどく、津軽藩などでは餓死者が十数万にも達したといわれ、住民が死に絶えた村もでた。村々の荒廃と食糧の不足から数多くの百姓一揆が発生し、江戸・大坂などの都市では貧しい住民を中心とした激しい打ちこわしがおこった。
一揆と打ちこわし
江戸時代のおもな災害と一揆
1641 | 寛永の飢饉 |
1653 | 佐倉惣五郎一揆 |
1657 | 明暦の大火(振袖火事) |
1681 | 磔茂左衛門一揆 |
1682 | 八百屋お七の家事 |
1686 | 嘉助騒動 |
1703 | 元禄地震(M7.7〜8.2), 津波発生 |
1707 | 富士山の噴火(宝永山の形成) |
1732 | 享保の飢饉(西日本で蝗害が発生 〜1733) |
1738 | 元文一揆 |
1755 | 宝暦の飢饉(奥羽地方大飢饉 〜1756) |
1764 | 明和の伝馬騒動 |
1772 | 明和の大火(目黒行人坂の大火) |
1782 | 天明の飢饉(東北地方冷害 〜1787) |
1783 | 浅間山の噴火 |
1786 | 関東大洪水, 翌年にかけて飢饉 |
1793 | 武左衛門一揆 |
1831 | 防長大一揆 |
1833 | 天保の飢饉(〜1839) |
1836 | 郡内騒動、加茂一揆 |
1847 | 天然痘流行 |
1855 | 安政江戸地震(M6.9) |
1858 | コレラ流行 |
1866 | 打ちこわし(江戸・大坂) |
百姓は、村請制のもとで年貢や諸役など重い負担に耐えていたが、幕府や藩の年貢増徴や新たな課税が彼らの生活や生産を大きく損なうときには、領主に対して村を単位に要求をかかげて、しばしば直接行動をおこした。これを百姓一揆と呼び、江戸時代にはこれまで3000件以上が確認されている。江戸時代を通じて件数はしだいに増加するが、1780年代、1830年代、そして1860年代にピークがあるとともに、一揆の形態もかわっていく。
17世紀初めには、徳川氏や新しい領主の支配に抵抗する武士を交じえた武力蜂起や逃散など、まだ中世の一揆のなごりがみられた。しかし17世紀後半からは、村々の代表者が百姓全体の利害を代表して領主に直訴する代表越訴型の一揆が増え、下総の佐倉惣五郎や上野の礫茂左衛門ら、伝説的な一揆の代表者がのちに義民とされた。17世紀末になると、村を越えた広い地域の百姓が団結しておこす大規模な惣百姓一揆も各地でみられるようになり、一揆の範囲が藩領全域に及ぶ場合を全藩一揆と呼んでいる。例えば、1686(貞享3)年の信濃松本藩の加助騒動、1738(元文3)年の陸奥磐城平藩の元文一揆などが代表例である。一揆に参加した百姓らは、年貢の増徴や新税の廃止、専売制の撤廃などを藩に要求し、ときには藩の政策に協力した商人や村役人の家を打ちこわすなど実力行動もとった。領主や特権商人による流通独占に反対して、在郷商人と百姓が支配の別なく郡や国の規模にまで広範囲に結集して訴願する、国訴という運動もおこり、1823(文政6)年には菜種・綿の流通規制に反対する摂津・河内·和泉の1000以上の村を結集した国訴がおこっている。
世直し一揆
世のなかが改まり新しい世のなかの到来を願う観念で、苦しい現実からの救済、解放を求める願望が込められている。この意識と百姓一揆が結びつき、下層貧農を中心に、特権的商人・豪農に対して質地・小作地の返還や米価引下げ、救済などを求め、要求が入れられないときは打ちこわしなどを行った。18世紀末から現れるが、一般的になるのは幕末・維新期で、1836(天保7)年の三河加茂一揆、1866(慶応2)年の武州一揆、陸奥信達騒動などが有名である。
幕府や諸藩は一揆におされて要求を部分的に認めることもあったが、多くは武力で鎮圧し、一揆の指揮者を厳罰に処した。こうした弾圧や幕府の一揆対策にもかかわらず、しばしば発生した凶作や飢饉を機に、百姓一揆は増加の一途をたどった。
1732(享保17)年に西日本一帯で、天候不順のなか、いなごやうんかが大量に発生して大凶作となり、全国的な飢饉となった(享保の飢饉)。米価の高騰により民衆の暮らしは大きな打撃をこうむり、江戸では翌1733(享保18)年に、米を買い占めて米価を高騰させたとして高間伝兵衛という有力な米問屋が打ちこわされた。
また、1782(天明2)年の東北地方の冷害から始まった飢饉は、翌年の浅間山の大噴火も加わって、多数の餓死者を出す江戸時代有数の大飢饉となった(天明の飢饉)。その被害はとくに陸奥でひどく、津軽藩などでは餓死者が十数万にも達したといわれ、住民が死に絶えた村もでたほどである。村々の荒廃と食糧の不足から数多くの百姓一揆が発生し、江戸・大坂などの都市では貧しい住民を中心とした激しい打ちこわしがおこった。
1866(慶応2)年の打ちこわしの様子。米の価格の上昇により困窮した都市民は、米の安売りを要求して、米屋や豪商を襲い、家屋や家財を破壊した。