西部の開拓と改革運動
鉄道会社の独占と横暴に対して苦しい生活を余儀なくされた西部の農民は全国農業保護者連盟のグレンジ(支部)は中西部の各州で不公正な差別を禁止するグレンジャー法を成立させ、西部と南部の農民中心の人民党結成。セオドア=ローズヴェルトの革新主義運動に影響を与えた。
西部の開拓と改革運動
西部ではカリフォルニアのゴールドラッシュが一段落すると、今度はコロラド・ネヴァダなどで金を探す山師たちが大量に移動し、さらにホームステッド法の実施による移民も重なり、機械の導入もはかられて西部は世界最大の小麦生産地帯となった。この西部への大量移動を可能にしたのが大陸横断鉄道の開通であった。カリフォルニアからはセントラル=パシフィック会社が、東方からはユニオン=パシフィック会社が競争で鉄道線路を敷設し、前者は中国人労働者を、後者はアイルランド人労働者を使ったりして、1869年5月10日プロモントリー=ポイントで連結した。
鉄道会社の独占と横暴に対して苦しい生活を余儀なくされた西部の農民は、不満を増大させ激しく反発した。1870年代に入って、全国農業保護者連盟のグレンジ(「支部」の意味)は協同組合運動や鉄道運賃と倉庫料金の統制をめざす政治運動を開始し、中西部の各州で不公正な差別を禁止する法律、いわゆるグレンジャー法を成立させた。90年代になると、西部と南部の農民が中心となって人民党が結成され、民主党・共和党に続く第3政党が誕生した。この政党は農民の不満を背景とし、秘密投票制度、通貨増発、累進所得税、鉄道と電信の国営化、大統領の任期制限などを要求した。1892年から1908年まで、5回大統領候補をだすなど政治的影響力を行使した。農村の景気回復や内部分裂もあってその後消滅したが、セオドア=ローズヴェルトの革新主義運動に影響を与えた。
ロングドライブ
テキサス州は牛の放牧に適した気候であった。働き手が南北戦争で兵隊となってこの地を離れている間に、牛の数が急激に増大した。東部では1頭50ドルもする牛がここではたったの3ドルないし4ドルであったので、東部に運べば多大な利益を得ることが可能であった。ここからカウボーイが牛の群れを引き連れ、大陸横断鉄道が開通している町まで運ぶロングドライブが始まった。しかし、長い旅で牛は痩せ、インディアンの保留地を通る際、通過料を取られ、また西部の農民の反対もあって19世紀末にはこの移動も終わりを告げた。