ヴェルサイユ体制と国際連盟
ヴェルサイユ体制 ©世界の歴史まっぷ

ヴェルサイユ体制国際連盟

十四カ条ヴェルサイユ条約以下の各講和条約で形成された国際体制は、全体としてヴェルサイユ体制と呼ばれ、それを統括する場の国際連盟は、国際平和と安全保障のための史上初の国際組織であり、1920年1月ヴェルサイユ条約の発効と同時に正式に発足した。

ヴェルサイユ体制と国際連盟

ヴェルサイユ体制と国際連盟
加盟国の推移(1920〜45)紺:加盟国、青:加盟国の植民地、橙:委任統治領、灰:非加盟国WIKIMEDIA COMMONS ©Maps & Lucy

十四カ条とヴェルサイユ条約以下の各講和条約で形成された国際体制は、全体としてヴェルサイユ体制と呼ばれ、それを統括する場として国際連盟 League of Nations が想定されていた。国際平和と安全保障のための史上初の国際組織である連盟は、1920年1月ヴェルサイユ条約の発効と同時に正式に発足した。加盟国は当初連合国 32カ国のみで構成され、ドイツなど旧同盟国とソヴィエト=ロシアは排除された。連盟は本部をスイスのジュネーヴにおき、国際労働機関(ジュネーヴ)と常設国際司法裁判所(ハーグ)が付置された。連盟の最高議決機関は年次総会で、重要な議決機関として理事会があり、英・仏・イタリア・日本の4カ国が常任理事国となった。アメリカ合衆国も常任理事国となることが予定されていたが、対外的義務の負担と外交的自由の拘束を嫌う共和党保守派の反対とウィルソン大統領自身の非妥協的姿勢によって、19年11月、上院でヴェルサイユ条約批准が否決されたため、国際連盟にも加盟しなかった。そのため、合衆国とドイツとの講和条約は1921年8月個別にベルリンで調印された。合衆国の不参加、敗戦国と革命ロシアの排除によって、ヴェルサイユ体制は事実上ヨーロッパ中心の国際体制という構造になった。

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