人文・社会科学の発展 大衆文化の芽ばえ - 学問
人文・社会科学の発展 ©世界の歴史まっぷ

大衆文化の芽ばえ - 学問

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大衆文化の芽ばえ – 学問

1920年代に入って、マルクスの大著『資本論』が高畠素之により、初めて完訳出版され、経済学・歴史学·哲学などの分野はその影響を強く受けた。明治維新を絶対主義の形成とみなし、日本資本主義の半封建的性格を強調した講座派と、それを否定する労農派が明治維新論争、日本資本主義論争を展開した。

大衆文化の芽ばえ

学問

とくに人文、社会科学の諸部門で、大正デモクラシーの高まりに伴って、自由主義的立場に立った学問・研究が広まった。内田銀蔵うちだぎんぞう(1872〜1919)·河上肇かわかみはじめ(1879〜1946)・福田徳三ふくだとくぞうらが経済学·経済史研究で業績をあげ、美濃部達吉(1873〜1948)は近代法学の立場から天皇機関説を唱えて、上杉慎吉うえすぎしんきち(1878〜1929)の天皇主権説を批判し、学界で広く支持を得た。また、吉野作造・尾佐竹猛おさたけたけき(1880〜1946)らが憲政史や明治文化史研究で成果をあげ、その後の日本近代史の実証主義的研究の発展に大きく貢献した。

天皇機関説

19世紀末〜20世紀初めのドイツの公法学者イェリネック( Jellinek, 1851〜1911 )の国家法人説に基づいて、統治権の主体は天皇ではなく法人たる国家であり、元首たる天皇は国家の最高機関として憲法の条規にしたがつて統治権を行使するという学説であった。いわば大日本帝国憲法をできるだけ自由主義的・立憲主義的に解釈した学説といえよう。天皇機関説は、天皇が国家統治の主体であることを否定するもので、統治権を天皇固有の万能で絶対的な権限とみなす天皇主権説と対立したが、明治末期以降から昭和初期まで、学界ではもとより、政界·官界でも広く認められていたのである。

人文・社会科学の発展
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歴史学

歴史学の分野では、津田左右吉つださうきち(1873〜1961)が日本古代史の実証的研究を通じて、「記紀」の記述が史実ではなく皇室の支配の由来を示すための創作であることを説き、また国民思想の研究でも学界に新風を吹き込み、黒板勝美くろいたかつみ(1874〜1946)·辻善之助つじぜんのすけ(1877〜1955)らが実証主義的研究で業績をあげた。東西交渉史の視角からアジアの研究を進めた白鳥庫吉しらとりくらきち・ジャーナリスト出身で中国史・日本文化史研究に業績を残した内藤虎次郎ないとうとらじろう湖南こなん)らも有名である。

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民俗学・哲学・倫理学

民俗学では、柳田国男やなぎだくにお(1875〜1962)が民間伝承・風俗習慣・行事などの研究によって庶民の生活史を明らかにするなど、日本における民俗学の確立に貢献した。また、哲学が大いに流行し、西田幾多郎にしだきたろう(1870〜1945)が『善の研究』(1911)など一連の独創的な業績を発表して知識人の間に大きな影響を与えたのをはじめ、阿部次郎(1883〜1959)·安倍能成あべよししげ(1883〜1966)·和辻哲郎(1889〜1960)らの理想主義・人格主義的思想家が活躍した。

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マルクス主義

マルクス主義の影響が人文·社会科学各分野に現れ始めたことも、この時代の特色であった。とくに、1920年代に入って、マルクスの大著『資本論』が高畠素之たかばたけもとゆき(1886〜1928)により、初めて完訳出版され(1920〜25)、経済学・歴史学·哲学などの分野はその影響を強く受けた。こうした風潮のなかで、『貧乏物語』の著者河上肇が自由主義経済学者からマルクス主義経済学者に転じ、民本主義理論家大山郁夫が無産政党運動に活躍した。1932(昭和7)〜33(昭和8)年、山田盛太郎(1897〜1980)·平野義太郎(1897〜1980)·野呂栄太郎(1900〜34)・羽仁五郎はにごろう(1901〜83)・服部之総はっとりしそう(1901〜56)らマルクス主義経済学者や歴史学者により『日本資本主義発達史講座』が出版された。彼らは講座派と呼ばれ、明治維新を絶対主義の形成とみなし、日本資本主義の半封建的性格を強調した。こうした見方に反対し、明治維新を不完全ながらブルジョア革命とみて、日本資本主義の半封建性を否定する櫛田民蔵(1885〜1934)ら労農派の学者たちと、講座派の学者たちとの間には、活発な論争が展開された(明治維新論争、日本資本主義論争)。しかしこれらの論争は、明治維新や日本の資本主義の発達についての歴史的分析を深めると同時に、それが日本共産党など社会主義勢力による革命運動の方針をめぐる対立に強く影響され、学問の本来のあり方を大きく歪めた点も否定できない。

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自然科学

自然科学の発展
自然科学の発展 ©世界の歴史まっぷ

自然科学·技術の面でも明治時代に引き続いていくつかのすぐれた業績が生まれた。本多光太郎(1870〜1951)のKS磁石銅の発明(1917)、石原純(1881〜1947)の相対性理論の研究、野口英世の黄熱病の研究、高木貞治(1875〜1960)の数学における類対論の確立、八木秀次(1886〜1976)の指向性超短波用アンテナ(八木アンテナ)の発明、仁科芳雄(1890〜1951)の原子核研究などがその代表的なものである。研究施設としては、民間の北里研究所・理化学研究所・東京帝大の航空研究所・地震研究所などか設立された。また航空機が実用化されて、第一次世界大戦で軍事目的に利用された。

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