二朝並立年表
継体天皇の死後、ヤマト政権は安閑天皇・宣化天皇を中心とする勢力と、欽明天皇を中心とする勢力に分裂し、抗争を続けた(二朝並立)。
二朝並立年表
二朝並立年表
西暦(干支) | 日本書紀 | 異説 | |
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527(丁未) | 古事記 | 継体天皇の死 | |
531(辛亥) | 継体25年 | 百済本記 | 継体・太子・皇子の死 |
532 | 空位 | ||
534(甲寅) | 安閑元年 | 書記の或本 | 継体の死 |
535(己卯) | 古事記 | 安閑の死 | |
536 | 宣化元年 | ||
538(戊午) | 元興寺縁起他 | 欽明7年 | |
540 | 欽明元年 | ||
571(辛卯) | 欽明32年 欽明の死 | 法王帝説 | 欽明41年・欽明の死 |