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- 投稿日 2018-02-06
- 最終更新日時 2018-12-18
イスラーム世界の拡大地図
イスラーム世界の拡大地図
地名:ムハンマド, 正統カリフ, ウマイヤ朝, アッバース朝, トゥール・ポワティエ間の戦い, ニハーヴァンドの戦い, タラス湖畔の戦い, ヤルムークの戦い, イスラームの進出方向, 領土, 戦争, クテシフォン, バグダ―ド, グラナダ, トレド, パリ, ヴェネツィア, ジェノヴァ, メディナ, メッカ, アレクサンドリア, コルドバ, トゥール, ポワティエ, ローマ, アンカラ, エルサレム, アンティオキア, ダマスクス, ホルムズ, サマルカンド, エスファハーン, コンスタンティノープル, タシュケント, タブリーズ, サマ―ラ, カシュガル, ブハラ, カルタゴ, アラビア, アルメニア, ホラーサーン, クレタ, シチリア, フランク王国, 西ゴート王国, 東ローマ帝国, 唐, 吐蕃, ヒンドゥー系諸王国, ロンバルド
凡例
ムハンマド
ムハンマド時代 622年〜632年
メッカの大商人の家に生まれ、40歳でアッラーの啓示を受けた預言者ムハンマドが、622年にイスラームを創始。
メッカで迫害されメディナに移り、教団(ウンマ(イスラム))を形成、630年にメッカを征服してカアバを一神教の神殿とした。その結果、諸部族が次々と帰順しアラビア半島の政治的・宗教的統一を果たし、632年に死去した。その言行録『コーラン』はイスラームの聖典とされている。
正統カリフ
正統カリフ時代 632年〜661年
イスラームの開祖ムハンマドの死後、ムハンマドの代理人としてイスラム共同体の後継指導者となった4人のカリフたちが構築した国家。
636 ヤルムークの戦い
ヤルムーク川で東ローマ帝国ヘラクレイオス朝とその同盟国のガッサーン朝連合軍と正統カリフ軍が激突した戦い。
正統カリフ軍が勝利し、東ローマ帝国はシリア、パレスティナを失った。
642 ニハーヴァンドの戦い
ニハーヴァンド(現在のテヘラン南方)でササン朝と正統カリフ軍との間に起こった戦い。
正統カリフ軍が勝利し、ササン朝は事実上滅亡した。
ウマイヤ朝
ウマイヤ朝時代 661年〜750年
アリー(正統カリフ)暗殺後、アリーの政敵であるウマイヤ家のムアーウィヤがカリフに就任してシリアのダマスクスに開いた政権。ウマイヤ家によるイスラム史上最初の世襲イスラム王朝。
732 トゥール・ポワティエ間の戦い
フランス西部のトゥールとポワティエの間で、フランク王国とウマイヤ朝の間で起こった戦い。
フランク王国が勝利し、フランク王国軍を指揮した宮宰のカール・マルテル(ピピン2世の子)の声望は一気に上がり、カール・マルテルの子のピピン3世は751年、名ばかりのメロヴィング家の王を廃して、自ら王位に就き、カロリング朝を開いた。
アッバース朝
アッバース朝時代 750年〜1517年
中東地域を支配したイスラム帝国第2の世襲王朝。
751 タラス湖畔の戦い
中央アジアのタラス地方(現キルギス領)で唐とアッバース朝の間で中央アジアの覇権を巡って行われた天下分け目の戦闘である。
製紙法が西方に伝播した戦いとして有名である。
アッバース朝が勝利し、中央アジアにイスラム勢力の安定支配が確立し、ソグド人やテュルク系諸民族の間にイスラム教が広まっていった。
参考
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更新履歴
- 2018/12/18:微修正しました。(バージョン2.1)
- 2018/01/23:海名・川・川名追加、ビザンツ帝国とウマイヤ朝の色が似ていたので、すべての配色を変更しました。(バージョン2.0)
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