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- 投稿日 2018-02-26
- 最終更新日時 2018-04-14
クシャーナ朝とサータヴァーハナ朝地図
クシャーナ朝とサータヴァーハナ朝地図
地名:サカ族の移動, クシャーナ朝, サータヴァーハナ朝, 仏教遺跡, 陸上・海上の交通路, インダス川, クリシュナ―川, ゴーダ―ヴァリー川, ガンジス川, アラビア海, ベンガル湾, アマラーヴァーティ, マトゥラー, プルシャプラ, カナウジ, サマルカンド, アジャンター, パータリプトラ, プラティシュターナ, カイパ―峠, カーブル, バーミヤン, チョーラ朝, パーンディヤ朝, チベット高原, ヒマラヤ山脈, スリランカ, セイロン島, バクトリア, パミール高原, カシミール, パルティア, ソグディアナ, ガンダーラ
凡例
サカ族の移動
サータヴァーハナ朝 第2次拡大期
サータヴァーハナ朝は1世紀頃にはサカ族(西クシャトラパ等)に圧迫されていたが、2世紀初頭に、ガウタミープトラ・シャータカルニ王が現れると、西クシャトラパ(クシャハラータ朝)の王ナハパーナを倒し、西北デカンの地を回復するとともに北はマールワやグジャラートまで領域を拡大し、南はクリシュナ川畔まで及んだ。彼の残した碑文には「サカ人、ギリシア人、パルティア人を滅ぼした」とある。彼の治世から再びサータヴァーハナ朝の歴史を具体的に読み取ることが可能になる。彼の子プルマーイーの時代には「南国の主」とまで呼称された。
クシャーナ朝の領域
クシャーナ朝は、中央アジアから北インドにかけて、1世紀から3世紀頃まで栄えたイラン系の王朝である。日本語表記は一定せず、クシャナ朝、クシャーン朝、クシャン朝、クシャン帝国とも呼ばれる。
サータヴァーハナ朝の領域
古代インドの王朝である。プラーナ文献では、アーンドラ朝(Andhras)とよばれる。サータヴァーハナが王家名で、アーンドラが族名である。デカン高原を中心とした中央インドの広い範囲を統治した。パックス・ロマーナ期のローマ帝国と盛んに海上交易を行い、商業が発達した。この時期の遺跡からは、ローマの貨幣が出土することで有名である。王たちは、バラモン教を信仰したが、仏教やジャイナ教も発展した。
仏教遺跡
- バーミヤン:世界遺産「バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群」
- カープル:メス・アイナク遺跡
- アジャンター:世界遺産「アジャンターの石窟寺院群」
陸上・海上の交通路
クシャーナ朝は2世紀半ばにでた第4代君主・カニシカ1世の時代が最盛期で、その領域は南はガンジス川の中流域におよび、北は中央アジアで後漢と接していた。また首都をガンダーラ地方のプルシャプラ(現ペシャーワル)におき、漢とローマを結ぶ交通路の中央を押さえて経済的にも栄えた。クシャーナ朝が発行した大量の金貨は、ローマ貨幣と同じ重量基準でつくられている。カニシカの家系はゾロアスター教のを信奉していたが、かれはまたアショーカとならぶ仏教の保護者としても知られ、その治世に第4回の仏教結集がおこなわれたという。
参考
Attached Files
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