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- 投稿日 2018-03-08
- 最終更新日時 2018-04-14
保元・平治の乱関係図
保元・平治の乱関係図
凡例
- 1156(保元元)年 保元の乱:鳥羽法皇の死を機に朝廷の実権を握ろうとした崇徳上皇は、藤原忠通と争っていた頼長と結び兵を集めたため、後白河天皇は藤原通憲・平清盛ら武士を動員し先制攻撃で上皇を破った。崇徳上皇は讃岐に配流はいる、頼長は敗死。初めて武士が政争に使われた。
- 1159(平治元)年 平治の乱:後白河院政で平清盛と結ぶ信西(藤原通憲)に不満をもった藤原信頼が源義朝と結び、清盛が熊野詣に出かけた留守をねらって挙兵、通憲を自殺させた。帰還した清盛は信頼・義朝らを滅ぼし、子の源頼朝を伊豆に配流した。
参考
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