応仁の乱の対立関係図
応仁の乱の対立関係図 ©世界の歴史まっぷ

応仁の乱の対立関係図

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  • 投稿日 2018-03-29
  • 最終更新日時 2018-04-14

応仁の乱の対立関係図

応仁の乱の対立関係図

応仁の乱の対立関係, 有力守護による争い, 西軍は義視をさそい、東西二つの幕府が成立, 管領, 守護, 細川方(畠山政長・斯波義敏・赤松政則ら24カ国16万人), 山名方(畠山義就・斯波義廉ら20カ国11万人), 将軍家当初、東軍が将軍邸を占拠して義政・義尚 義視の身柄を確保。1468年義視が将軍邸を抜け出し、西軍は義視を将軍に立てて幕府としての陣容をととのえ東西二つの幕府が成立, 義視, 西軍, 東軍, 武田氏, 京極氏, 富樫, 赤松氏, 仁木氏, 河野氏, 大内氏, 一色氏, 六角氏, 足利義政, 義尚, 山名持豊(宗全), 細川勝元, 持国, 持富, 政長, 斯波義健, 義廉, 義敏, 義就, 義政, 畠山満家

応仁の乱の対立関係図
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凡例

  • 将軍継嗣問題:義政が弟の義視を次期将軍に指名した後に、妻の日野富子との間に義尚が誕生したことから家督争いがおこった。
  • 幕府内勢力争い:幕府の実権を握ろうとして争そい、それぞれ義視と義尚を支援したため対立が激化。
  • 畠山氏家督争い:父畠山持国から家督を譲られた畠山義就に対し、反義就派の家臣が一族の畠山政長を擁立して対立
  • 斯波氏家督争い:惣領の斯波義健が後継のないまま死去したため、一族から迎えられた斯波義敏と九州探題渋川氏の一族から迎えられた斯波義廉が家督を争う
参考

山川 詳説日本史図録 第7版: 日B309準拠

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