幕府と御家人 東国の範囲と関東知行国地図
東国の範囲と関東知行国地図 ©世界の歴史まっぷ

東国の範囲と関東知行国地図

幕府と御家人 東国の範囲と関東知行国地図
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  • 投稿日 2018-03-08
  • 最終更新日時 2018-04-14

東国の範囲と関東知行国地図

東国の範囲と関東知行国地図

地名:東国の範囲と関東知行国, 知行国 文治4年(8カ国), 文治2年境界, 出羽, 陸奥, 下野, 常陸, 下総, 上総, 安房, 武蔵, 相模, 伊豆, 遠江, 駿河, 甲斐, 上野, 信濃, 越後, 佐渡, 飛騨, 越中, 能登, 三河, 尾張, 美濃, 越前, 伊勢, 伊賀, 近江, 若狭, 加賀

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凡例

幕府経済に目を転じると、将軍である源頼朝は関東知行国関東御陵を所有していた。関東知行国は頼朝の知行国で、関東御分国ごぶんこくともいわれ、最も多いときは9カ国を数えた。頼朝は知行国主として国司を推挙し、国衙からの収入の一定額を取得した。関東御陵は頼朝が本家・領家として支配した荘園や国衙領である。将軍の直轄地であり、鎌倉時代初めには平家没官領もっかんりょうといわれる平氏の旧領約500カ所と源氏の本領とから成り立っていた。知行国といい荘園といい、将軍はほかに例をみないほどの巨大な領主であり、この膨大な所領が幕府の経済基盤をなしていた。この事態は、幕府が荘園・公領の経済体制のうえに築かれた権力体であったことを如実に物語っている。御家人への土地給与が土地自体の給与ではなく、地頭職という土地への権利の給与であることも、幕府と荘園制の密接な関係を裏付けている。幕府は確かに封建的な政権であった。しかし荘園制を否定することのできない、未熟な政権でもあった。それゆえに幕府と朝廷とは、併存し得たのであった。

参考

詳説日本史研究

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