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- 投稿日 2018-02-21
- 最終更新日時 2018-04-14
紀元前2世紀頃の内陸アジアの地図
紀元前2世紀頃の内陸アジアの地図
地名: 烏孫, 匈奴, 前漢, 月氏, 大月氏, 大宛, パルティア, マガダ, ヘカトンピュロス, ノイン・ウラ, 亀茲, 于闐, ホータン, パータリプトラ, 長安, 疏勒, カシュガル, 桜蘭, 敦煌
紀元前2世紀頃の内陸アジア
多くの家畜を追って、季節的に一定の地域での移動をくりかえしていた平和な遊牧民は、スキタイから騎馬の技術を伝えられると、騎馬遊牧民へと成長していった。そして、彼らの行動は、紀元前4世紀ころに始まり、西方で活躍したサルマタイや東方で活躍した匈奴は最初の代表的勢力であり、とくに匈奴は強大な遊牧国家を建設して、中国の強敵となった。タリム盆地東部にいて、のち匈奴に圧迫されて移動した月氏、天山山脈方面にいた烏孫も有力な騎馬遊牧民であった。彼らが部族的統一を進め、有力な指導者に統率されて強大化したとき、農耕民にとってきわめて大きな脅威となった。
- サルマタイ:紀元前5世紀から紀元後3〜4世紀にかけて、ドン川東の南ロシア草原に遊牧した民族。のちにスラヴ系に吸収される。スキタイと同類で、言語や生活様式が類似している。
- 烏孫:トルコ系と考えられる遊牧民。漢代には天山地方で匈奴に服従した。月氏を追ってイリ地方に移る。
騎馬遊牧民の活動は、彼らの不安定な経済生活にその原因がある。騎馬遊牧民にとっては、衣食を自分たちの力だけで自給するには限界があり、農耕社会の生産物と交易することが必要であった。そのために農耕地帯の人々や商業、交易に従事する人々と物産の交換を求めた。それが平和的におこなわれないときには、武力に訴えた。騎馬遊牧民が優れた指導者をえて、遊牧国家を形成したとき、その武力による侵入は、大きな破壊や略奪となって現れた。こうした騎馬遊牧民の侵入に、激しく抵抗しつづけた代表的農耕社会が中国であった。中国は、長期にわたって草原地帯に対して大規模な武力遠征をくりかえした。
参考
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