柔然 ササン朝 内陸アジアの新動向 エフタル 5世紀頃の内陸アジア地図
5世紀頃の内陸アジア地図 ©世界の歴史まっぷ

エフタル ( A.D.420〜A.D.567)

5世紀~6世紀にかけて中央アジアに存在した、トルコ系またはイラン系の遊牧民国家。5世紀に強大となり、ササン朝ペルシアを圧迫した。西北インドにも侵入してグプタ朝を圧迫し、「フーナ(白いフン)」と呼ばれて恐れられた。5世紀末ころクシャーナ朝も滅ぼすが、ササン朝のホスロー1世突厥に挟撃され滅亡。

エフタル

内陸アジア世界の変遷

内陸アジアの変遷
内陸アジア世界の変遷 ©世界の歴史まっぷ

遊牧民とオアシス民の活動

内陸アジアの新動向
匈奴が衰えたあとのモンゴル高原では、3世紀の半ば以降、モンゴル系またはトルコ系の鮮卑せんぴが有力となり、五胡のひとつとして華北に建国するにいたった。慕容部ぼようぶのたてた前燕・後燕、拓跋部たくばつぶのたてた北魏(中国北部を統一する)などがその例である。こうして鮮卑が中国北部に移動したため、かわって5世紀のモンゴル高原では、モンゴル系の柔然じゅうぜんが有力となった。同じころ、中央アジアではトルコ系またはイラン系の遊牧民エフタルが強大となった。エフタルは、西北インドにも侵入してグプタ朝を圧迫し、「フーナ(白いフン)」と呼ばれて恐れられた。
5世紀頃の内陸アジア地図
5世紀頃の内陸アジア地図 ©世界の歴史まっぷ

内陸アジアの新動向 – 世界の歴史まっぷ

アジア・アメリカの古代文明

インドの古代文明

グプタ朝と古典文化

グプタ朝は、5世紀後半になると諸侯の離反、独立によって国内が乱れ、また西北からエフタル民族(フーナ)の侵寇もうけて衰退し、6世紀半ばに滅んだ。グプタ朝衰退の原因としては、このほかに西方世界との交易の停滞と、国内における都市経済の停滞があった。

グプタ朝と古典文化 – 世界の歴史まっぷ

西北インドの情勢

クシャーナ朝は3世紀にササン朝に圧迫されて衰え、一時復興したが(キダーラ朝)、5世紀末ころ新たにおこったエフタル民族のために滅ぼされた。

西北インドの情勢 – 世界の歴史まっぷ

オリエントと地中海世界

古代オリエント世界

ササン朝

ササン朝は、5世紀から6世紀にかけて、中央アジアの遊牧民エフタル族の侵入と、原始共産主義的思想を説くマズダク教の流行で、国家と社会は混乱した。これを収拾したのがササン朝最大の英主といわれるホスロー1世である。ホスロー1世は東ローマ帝国ユスティニアヌスと対抗して西方での戦いを優勢に進める一方で、トルコ系遊牧民の突厥とっけつと同盟を組んで、エフタルを挟撃して滅ぼした。またマズダク教を弾圧し、税制・軍制の改革や官僚制の整備といった内政にも力を注いだので、国力は回復しササン朝は最盛期を迎えるにいたった。

ササン朝 – 世界の歴史まっぷ

詳説世界史研究

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