アストゥリアス王国
アウトゥリアスの紋章 Source Wikipedia

アストゥリアス王国


アストゥリアス王国 A.D.718〜A.D.925
現在のスペインアストゥリアス州に存在した王国。イスラーム勢力により滅亡した西ゴート王国の貴族ペラーヨがアストゥリアスに逃れて建国した。
首都はカンガス・デ・オニス、ラングレーオ、プラビア、オビエド。10世紀にレオンに遷都してレオン王国となった。

アストゥリアス王国

アストゥリアス王国
ヨーロッパ世界の形成と発展 ©世界の歴史まっぷ

概要

711年(または712年)、グアダレーテ河畔の戦いでイベリア半島をイスラーム勢力(ウマイヤ朝)が征服し、西ゴート王国が滅亡した。
この際、イスラームへの抵抗を続けた西ゴート王国の貴族ペラーヨは、イベリア半島北西部にまで逃れ、在地のアストゥリアス人勢力と結んで、アストゥリアス王国を建国した。
イスラーム勢力の攻撃を受けるが、722年頃にコバドンガの戦いで勝利して独立を保つと、カンガス・デ・オニスを都として支配を固めた。
スペインとポルトガル 8〜13世紀レコンキスタ地図 ポルトガル王国
8〜13世紀レコンキスタ地図 ©世界の歴史まっぷ

アルフォンソ2世(アストゥリアス王)の時代にガリシア地方へと版図を拡大し、聖ヤコブを守護聖人とするサンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂を設けた。また、カンガス・デ・オニスにかわりオビエドを支配の拠点とした。このころより、イスラーム勢力に対する反撃が進められた。
ガルシア1世の時代に、都はオビエドからレオンへ遷都し、これ以降の王国はレオン王国と称される(ガルシア1世(レオン王))。

歴代国王

  • ペラーヨ 718年–737年 コバドンガの戦いを通じて王国の土台を築き、カンガス・デ・オニスを首都にする。
  • ファビラ 737年–739年
  • アルフォンソ1世(アストゥリアス王) 739年–757年  アルフォンソ1世およびその子孫はアストゥリアス=レオン王家と形づけられる。
  • フルエーラ1世 757年–768年 残酷王
  • アウレリオ(アストゥリアス王) 768年–774年
  • シロ(アストゥリアス王)  774年–783年 アルフォンソ1世の娘で自身の妻であるアドシンダを介して王位を継承。首都をプラビアに移転。
  • マウレガート 783年–788年 簒奪王 アルフォンソ1世の庶子で王位を簒奪。
  • ベルムード1世 788年–791年 助祭王、修道士王 修道士に復帰
  • アルフォンソ2世(アストゥリアス王) 791年–842年 純潔王 オビエドに首都を移転。
  • ネポシアーノ 842年 王位を簒奪。ラミーロ1世と後継を争い、敗れる。
  • ラミロ1世(アストゥリアス王) 842年–850年 ネポシアーノを廃位。
  • オルドーニョ1世 850年–866年
  • アルフォンソ3世(アストゥリアス王) 866年–910年 大王 王国は3人の息子の間で分割され、ガルシア1世(レオン王)はレオン王国を 、オルドーニョ2世はガリシア王国を、フルエーラ2世はアストゥリアス王国をそれぞれ相続した。
  • フルエーラ2世 910年–924年 924年レオン王国に併合。

レオン王国 – 世界の歴史まっぷ

国王参考: Wikipedia

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