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オランダ領東インド


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オランダ領東インド( A.D.1800〜A.D.1942)
オランダが現在のインドネシアに領有した植民地。1799年オランダ東インド会社解散後は、オランダ政府の直接統治下に入った。ジャワ戦争(1825〜30)・バリ戦争(1846〜49)・アチェ戦争(1873~1912)などを経て20世紀初頭にオランダ領東インドは完成した。

オランダ領東インド

オランダが現在のインドネシアに領有した植民地。1799年、香辛料価格の下落などの影響で東インド会社が解散すると、その植民地はオランダ政府の支配下に入った。その後、ジャワ戦争・バリ戦争・アチェ戦争などを経て20世紀初頭にオランダ領東インドが完成した。

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ニューギニア島西部を含む現在のインドネシア共和国領土の旧名。 1596年に最初のオランダ貿易船がジャワ島のバンテンを訪れ、1619年にジャカルタを占領。マルク諸島 (香料諸島) をも制圧し、オランダ勢力は 17世紀後半からジャワ内部に浸透した。 1811~16年イギリスがジャワを一時占領したが、返還後、オランダ領東インド総督は本国の財政難解決のため、30年から強制栽培制度を実施し、莫大な利益をあげた。 19世紀末にはジャワ以外の開発も進み、また圧政への反省から寛容政策に転じたが、インドネシア独立の機運が高まり、1949年に主権委譲が実現。オランダの支配は終った。

参考 ブリタニカ国際大百科事典

アジア諸地域の動揺

南アジア・東南アジアの植民地化

諸島部の植民地化

ジャワ島住民のオランダに対する大反乱(ジャワ戦争, 1825〜30)のあと、1830年に東インド総督に就任したファン=デン=ボス Van den Bosch (1780〜1844)は、オランダ本国政府とバタヴィア(総督府)政庁(オランダ政庁)の財政危機を救うため、強制栽培制度の拡大復活を含む統制経済を実施した。これはコーヒー・砂糖キビ・藍・タバコなどの輸出用作物を指定し耕地の一部に強制的に栽培させる制度であるが、これにより稲作が損なわれ、農民を困窮させたため、本国からも強い批判がでて、1860年代から徐々に廃止された。この間、1850年に貿易の政府独占は廃止され、自由経済が採用されたため、これ以後は私企業によるプランテーション経営が発達することになった。また植民地経営はスマトラやボルネオなどジャワ島周辺の島々にまで広げられた(オランダ領東インド)。

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