チチェン・イッツァ マヤ文明
チチェン・イッツァ カスティーヨ @ Wikipedia

チチェン・イッツァ


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チチェン・イッツァ

ユカタン半島先端部に近い北部平原の遺跡。マヤと中央平原から侵入したトルテカの文化が融合し、ピラミッド型の基壇をもつ神殿、壁画、彫像など各所に、10世紀前後に最盛期を迎えたマヤ文明の高い文化水準がうかがわれる。チチェンは「井戸のほとり」、イッツアは「水の魔術師」という意味のマヤ語である。
世界遺産「古代都市チチェン・イッツァ」に登録されている。

チチェン・イッツァ

カスティーヨ

チチェン・イッツァ
チチェン・イッツァ カスティーヨ Source: Wikipedia

マヤの最高神ククルカン(羽毛のあるヘビの姿の神。ケツァルコアトルのマヤ語名)を祀るピラミッド。基底55.3メートル四方、高さ24メートル(頂上の神殿部分は6メートル)。通称の「カスティーヨ」はスペイン語で城塞の意。「ククルカンのピラミッド」、「ククルカンの神殿」とも呼ばれる。

大きな9段の階層からなり、4面に各91段の急な階段が配されていて、最上段には真四角な神殿がある。ピラミッドの階段は、4面の91段を合計すると364段で、最上段の神殿の1段を足すと、丁度365段である。また1面の階層9段は階段で分断されているので合計18段となり、これらはマヤ暦の1年(18ヶ月5日)を表す。このことから「暦のピラミッド」とも呼ばれる。北面の階段の最下段にククルカンの頭部の彫刻があり、春分の日・秋分の日に太陽が沈む時、ピラミッドは真西から照らされ階段の西側にククルカンの胴体(蛇が身をくねらせた姿)が現れ、ククルカンの降臨と呼ばれている。

カスティーヨ内部には初期のトルテカ=マヤ方式のピラミッドが内蔵されており、この神殿にはジャガーをかたどった玉座や生贄の心臓を太陽へ捧げたチャクモール像が置かれている。しかしこの像の目にはめこまれた翡翠は中国製である事が判明しており古代史の謎となっている。

戦士の神殿

チチェン・イッツァ
戦士の神殿 Source: Wikipedia

天文台

チチェン・イッツァ
天文台 ©Public Domain

太陽暦の1年をマヤ人は365.2420日と計算していた。現代天文学がコンピュータで計算した1年は365.2422日。天体望遠鏡もないマヤ人はほとんど誤差なく暦を知っていた。カタツムリ型の天文台から何代にもわたり肉眼で観測した。これもすべて農耕や戦争の為である。

この天文台は約9メートルの岩の上に建てられ、高さは約13メートル。中心部に螺旋階段が作られており、ドーム部には縦に細長い窓の作られた厚い壁で構築されている。なお、この窓は天体観測における重要な照準線になっており、西側は春分の日の日没、月が最北端に沈むときの方向2つを確認することができる。

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