チャルディラーンの戦い
チャルディラーンの戦い ©Public Domain

チャルディラーンの戦い


チャルディラーンの戦い (1514年)

アナトリア高原東部のチャルディラーンで行われたオスマン帝国と新興のサファヴィー朝との戦い。鉄砲と大砲を装備したオスマン帝国常備軍が、騎兵を主とするサヴァヴィー朝を圧倒した。オスマン帝国が勝利し、東アナトリア領を獲得。後の日本の長篠の戦いにたとえられる。

チャルディラーンの戦い

戦争データ

年月日:1514年8月23日
場所:ヴァン湖北部 チャルディラン平原
結果:オスマン帝国の勝利
交戦勢力
オスマン帝国 サヴァヴィー朝
指導者
セリム1世 イスマーイール1世
戦力
60,000人〜212,000人 12,000人〜40,000人
損害
2,000人未満 約5,000人

参考 Wikipedia

アジア諸地域の繁栄

トルコ世界とイラン世界

オスマン帝国の拡大
セリム1世(位1512〜1520)とスレイマン1世(位1520〜1566)の時代には、アラブ地域にも支配領域を広げた。セリム1世は1514年にチャルドランの戦いでサヴァヴィー朝を破り東アナトリア領を獲得し、1516年にはアレッポの北マルジュ・ダービクの戦いマムルーク朝軍を破った。いずれも鉄砲と大砲を装備した常備軍が、騎兵を主とする両朝を圧倒した。1517年はカイロを攻略し、マムルーク朝を滅ぼし、シリア・エジプト・ヒジャーズを支配下におくとともに、メッカ・メディナの保護者としての地位をえた。
セリム1世
セリム1世 ©Public Domain

オスマン帝国の拡大 – 世界の歴史まっぷ

サヴァヴィー朝国家

イラン北西部カスピ海地域に拠点をおく神秘主義教団サファヴィー教団の教主イスマーイールは、1500年トルコマン遊牧民(トルクメン人)の信者にげきをとばし、アナトリア東部のエルジンジャンに7000人を集めて挙兵した。翌1501年には、アク・コユンル(白羊朝はくようちょう)の都タブリーズに入城し、ティムール朝を倒したウズベク族のシャイバーン朝を破り、イラン全域の支配権を握った(1501〜1736)。勝利の原動力となった軍隊の主軸は、キジルバシュと呼ばれるトルコマン遊牧民であり、これを部族単位に編制した。イスマーイール1世(位1501〜1524)は、古代イラン以来王を意味するシャーの称号を用い、キジルバシュの有力者を地方長官に任じた。行政官僚にはアク・コユンル朝以来のイラン人貴族を任じた。キジルバシュは、シーア派信仰に鼓舞され、イスマーイール1世はタブリーズ入城後、シーア派のイマームの名で礼拝時のフトバ(説教)を詠むことを命じ、スンナ派に対する攻撃・破壊をおこなった。このことは、スンナ派を奉じるオスマン帝国の憤激をかうこととなり、1514年両軍は東部アナトリアのチャルドランに交戦、火器を用いるオスマン帝国軍にサファヴィー朝騎兵軍は大敗を喫した(チャルドランの戦い)。

サファヴィー朝国家 – 世界の歴史まっぷ

詳説世界史研究

チャルディラーンの戦いと長篠合戦

鉄砲隊を導入した織田信長軍が、武田の騎馬軍団を破った長篠合戦(1575)のイスラーム版ともいえるのが、1514年のチャルディラーンの戦いである。オスマン軍のイェニチェリ、歩兵軍団がサファヴィー朝の騎馬軍団に勝利し、騎兵の時代から歩兵の時代がやってきたことを告げる出来事であった。図は右がオスマン軍で、右下の銃をかついだ兵がイェニチェリ、左がサファヴィー朝の遊牧民兵である。この後サファヴィー朝のアッバース1世はトルコ系遊牧民に頼らず、定住民にる銃兵と砲兵を中心にすえる軍制改革をおこなった。
チャルディラーンの戦い
チャルディラーンの戦い ©Public Domain
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