執権政治へ 六波羅探題 執権政治 13人の合議制 鎌倉幕府職制(中期)図
鎌倉幕府職制(中期)図 ©世界の歴史まっぷ

六波羅探題


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六波羅探題 ろくはらたんだい ( A.D.1221〜〜)
承久の乱後の処理をすませた北条泰時・北条時房は、その後も京都に残って六波羅の南北の居館に住み、京都守護にかわって京都市中の警備にあたった。彼らは六波羅探題ろくはらたんだいと呼ばれた。こののち、探題の任は執権につぐ要職となり、北条氏一門の有力者が任命された(通常2名。1名のことも)。探題は尾張国おわりのくに以西の西国御家人を統括し、幕府と連絡を取りながら、西国の行政・司法を管掌した。

六波羅探題

中世社会の成立

武士の社会

承久の乱
執権政治へ 六波羅探題 執権政治 13人の合議制 鎌倉幕府職制(中期)図
鎌倉幕府職制(中期)図 ©世界の歴史まっぷ

承久の乱後の処理をすませた北条泰時・北条時房は、その後も京都に残って六波羅の南北の居館に住み、京都守護にかわって京都市中の警備にあたった。彼らは六波羅探題ろくはらたんだいと呼ばれた。こののち、探題の任は執権につぐ要職となり、北条氏ほうじょうし一門の有力者が任命された(通常2名。1名のことも)。探題は尾張国おわりのくに以西の西国御家人を統括し、幕府と連絡を取りながら、西国の行政・司法を管掌した。

参考

詳説日本史研究

六波羅探題一覧

六波羅探題北方

  1. 北条泰時(得宗家) 1221年 – 1224年 →執権
  2. 北条時氏(得宗家) 1224年 – 1230年
  3. 北条重時(極楽寺流) 1230年 – 1247年
  4. 北条長時(極楽寺流赤橋氏) 1247年 – 1256年 →評定衆→執権
  5. 北条時茂(極楽寺流常盤氏) 1256年 – 1270年
  6. 北条義宗(極楽寺流赤橋氏) 1271年 – 1276年 二月騒動で南方の北条時輔を討つ
  7. 北条時村(政村流) 1277年 – 1287年
  8. 北条兼時(得宗家) 1287年 – 1293年 南方より
  9. 北条久時(極楽寺流赤橋氏) 1293年 – 1297年
  10. 北条宗方(得宗家義時流)1297年 – 1300年
  11. 北条基時(極楽寺流)1301年 – 1303年 →引付衆→執権
  12. 北条時範(極楽寺流常盤氏)1303年 – 1307年
  13. 北条貞顕(金沢流) 1311年 – 1314年 →連署→執権
  14. 北条時敦(政村流) 1315年 – 1320年 南方より
  15. 北条範貞(極楽寺流常盤氏)1321年 – 1330年
  16. 北条仲時(極楽寺流) 1330年 – 1333年 1333年滅亡

六波羅探題南方

  1. 北条時房(時房流) 1221年 – 1225年
  2. 北条時盛(佐介流) 1224年 – 1242年
  3. 北条時輔(得宗家) 1264年 – 1272年 二月騒動で北方の北条義宗に討たれる
  4. 北条時国(佐介流) 1277年 – 1284年 罷免され、常陸国へ配流の後に討たれる
  5. 北条兼時(得宗家) 1284年 – 1287年 北方へ
  6. 北条盛房(佐介流) 1288年 – 1297年
  7. 北条宗宣(大仏流) 1297年 – 1302年 →評定衆→連署→執権
  8. 北条貞顕(金沢流) 1302年 – 1308年 1311年から北方。
  9. 北条貞房(大仏流) 1308年 – 1309年
  10. 北条時敦(政村流) 1311年 – 1315年 北方へ
  11. 北条維貞(大仏流) 1315年 – 1324年 →評定衆→連署
  12. 北条貞将(金沢流) 1324年 – 1330年
  13. 北条時益(政村流) 1330年 – 1333年 1333年滅亡

参考 Wikipedia

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