北元 朝貢貿易 14世紀の東アジア 明(王朝) 明初の政治 アユタヤ朝 朝貢体制の動揺 明代のアジア(15世紀半ば) 地図
明代のアジア(15世紀半ば) 地図 ©世界の歴史まっぷ

北元


元朝

タタール, オイラト

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北元( A.D.1371〜A.D.1388)

洪武帝によって中国を追われた元朝の最後の皇帝・順帝(トゴン・テムル)がモンゴル高原に退き、北元として残った。北元は、高麗や雲南地方に残るモンゴル勢力と連絡して中国の奪回をはかったが順帝の子昭宗(アユルシリダラ)のとき、洪武帝の攻撃を受けて1388年に滅んだ。明で靖難の役がおこり、モンゴルに対する圧力が弱まると、モンゴルでは東に北元系のタタール部、西北にオイラト部がおこり、互いに勢力を争った。

北元

アジア諸地域の繁栄

東アジア・東南アジア世界の動向

明朝の朝貢世界

1368年、洪武帝によって中国を追われた元朝の最後の皇帝である順帝(トゴン・テムル)は、モンゴル高原に退き、その後、一族は北元(1371〜1388)として残った。北元は、高麗や雲南地方に残るモンゴル勢力と連絡して中国の奪回をはかった。しかし順帝の子昭宗(アユルシリダラ)のとき、洪武帝の攻撃を受けて1388年に滅んだ。

その後、明の内部では靖難の役がおこり、そのためモンゴルに対する圧力が弱まると、モンゴルでは東に北元系のタタール部、西北にオイラト部がおこり、互いに勢力を争った。両者の対立をうまく助長してモンゴルの統一を妨げようとした永楽帝は、5回のモンゴル遠征を行なった(1410〜1424)。最後の遠征の帰還途中に永楽帝は死亡するが、このモンゴル親政は一時的な効果を上げた。

ところが、15世紀中ごろオイラト部にはエセン・ハーン(?〜1454)が現れ、全モンゴルを従え、強大な勢力を背景に南下して明に交易を要求し、北辺に侵入した。このため第6代正統帝(英宗(明)位: 1435〜1449, 1457〜1464)は、自ら軍を指揮して討伐に向かったが、明軍は土木堡どぼくほで全滅し、正統帝は捕虜となった(土木の変 1449)。
明は新たに弟を即位させ(景泰帝 位: 1449〜1457)、北京防衛に努めた。エセン・ハーンはその後北京まで迫ったが、容易に落とせないと見ると和議を結び、正統帝を釈放して引き上げた。
正統帝の復位を巡って朝廷内部は対立したので、明の対外政策は守勢に転じ、北方の長城万里の長城)を改修してモンゴルの侵入に備えるなど、その政策はますます消極化していった。

明は、オイラト部の侵入以降、長城を増築・整備して北方民族の侵入に備えた。この時の長城が現在のもので、東の山海関から西の嘉峪関までの間には、二重に長城が張り巡らされたところもあり、その全長は述べ2400kmに及び、さらには一定の距離を置いて望楼(見張り台)や砦が配置されている。
14世紀の東アジア

紅巾の乱の一武将で、安徽省濠州あんきしょうごうしゅうの貧農出身であり、かつて僧侶でもあった朱元璋は、次第に頭角を現していき、儒学の素養を持つ知識人の協力を得ながら江南地方の穀倉地帯を手に入れ、その経済力をもって周辺地域の群雄を勢力下に吸収していった。彼は1368年、金陵(のちの南京)を都として皇帝位につき、元号を洪武こうぶと定めて(1368〜1644)を建国した(洪武帝 太祖)。洪武帝はその年、大都(現北京)に残る元朝を攻めるべく軍を派遣し、ついに元の勢力をモンゴル高原に追いやった(北元)。さらに1381年には、雲南地方に残るモンゴル勢力を一掃した。ここに明朝は全国統一を完了したのであり、江南を根拠地として中国統一した、ただ一つの王朝である。

靖難の役と永楽帝の治

永楽帝は積極的な対外政策を行なった。まず1410年から5回にわたり、自ら軍を率いてモンゴル高原へ遠征し、洪武帝が北元を滅ぼしたのちに台頭した東のタタール韃靼だったん)部や、西北のオイラト部を撃退した。南方に対しては、ベトナムの陳朝に軍を派遣して一時的に支配した。

参考

詳説世界史研究

歴代皇帝

  1. 恵宗トゴン・テムル(在位:1333年〜1370年)…クビライ家直系
  2. 昭宗アユルシリダラ(在位:1370年〜1378年)…クビライ家直系
  3. 天元帝トグス・テムル(在位:1378年〜1388年)…クビライ家直系
  4. イェスデル(在位:1388年〜1391年)…アリク・ブケ家出身
  5. エンケ・ハーン(在位:1391年〜1394年)…アリク・ブケ家出身。イェスデルの長男。オイラトが擁立
  6. エルベク・ハーン(在位:1394年〜1399年)…アリク・ブケ家出身。エンケ・ハーンの弟。オイラトが擁立
  7. クン・テムル(在位:1399年〜1402年)…アリク・ブケ家出身。エルベク・ハーンの長男。オイラトが擁立
  8. オルク・テムル(鬼力赤)(在位:1402年〜1408年)…オゴデイ家出身。アスト部のアルクタイ・タイシが擁立
  9. オルジェイ・テムル(プンヤシュリー)(在位:1408年〜1412年)…アリク・ブケ家出身。クン・テムルの弟。
  10. ダルバク・ハーン(在位:1412年〜1415年)…オルジェイ・テムル・ハーンの子。オイラトのマフムードが擁立
  11. オイラダイ・ハーン(エセク・ハーン)(在位:1415年〜1425年)…アリク・ブケ家出身。オゲチ・ハシハの子。オイラトが擁立
  12. アダイ・ハーン(在位:1425年〜1438年)…オルク・テムル・ハーンの子
  13. トクトア・ブハ(タイスン・ハーン)(在位:1438年〜1452年)…アジャイ太子の長男。オイラトのトゴン・タイシが擁立
  14. アクバルジ晋王(在位:1452年〜1453年)…タイスン・ハーンの弟
  15. 天盛帝エセン・ハーン(在位:1453年〜1454年)…オイラト出身ながら大元皇帝位を簒奪
  16. マルコルギス・ハーン(在位:1455年〜1465年)…タイスン・ハーンの子。ボライ・タイシが擁立
  17. モーラン・ハーン(在位:1465年〜1466年)…タイスン・ハーンの子
  18. マンドゥールン・ハーン(在位:1475年〜1479年)…タイスン・ハーン、アクバルジ晋王の弟
  19. バヤン・モンケ・ボルフ晋王(在位:1480年〜1487年)…アクバルジ晋王の孫
  20. ダヤン・ハーン(バト・モンケ)(在位:1487年〜1524年)…ボルフ晋王の子。イスマイル・タイシが擁立
  21. バルス・ボラト・サイン・アラク晋王(在位:1524年)…ダヤン・ハーンの三男
  22. ボディ・アラク・ハーン(在位:1524年〜1547年)…ダヤン・ハーンの孫。ここからはチャハル部長
  23. ダライスン・ゴデン・ハーン(在位:1548年〜1557年)…ボディ・アラクの長男
  24. トゥメン・ジャサクト・ハーン(在位:1558年〜1592年)…ダライスンの長男
  25. ブヤン・セチェン・ハーン(在位:1593年〜1603年)…トゥメンの長男
  26. リンダン・ハーン(在位:1603年〜1634年)…ブヤンの孫
  27. エジェイ(在位:1634年〜1635年)…リンダン・ハーンの子
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