土井ヶ浜遺跡


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土井ヶ浜遺跡
山口県下関市豊北町土井ヶ浜にある弥生時代前期から中期の墓地遺跡。国の指定史跡。

土井ヶ浜遺跡

弥生文化の成立

長崎県や佐賀県など西北部九州を中心に、縄文時代晩期から弥生時代前期に発達した、遺体を埋めた上に大きな石を置いて目印とする支石墓しせきぼは、朝鮮半島に広く分布する。こうした墓には朝鮮半島のものと同じ形の磨製石鏃せきぞくや磨製石剣が副葬されたり、それが刺さった人骨が見つかることもある。縄文時代には専用の武器はなかったので、武器とそれを用いた争いも、朝鮮半島からもたらされたといえよう。

山口県土井ヶ浜遺跡は、弥生時代前期の墓地の遺跡であり、これまでにおよそ300体の人骨が発掘された。
それらは縄文時代の人骨よりも平均身長が3〜4㎝高く、顔も高く(縦に長く)、鼻の付け根や眉間の起伏が弱いなど、大陸の新石器時代人と形質的に近いことが指摘され、それらは渡来系の人々とされている。

九州の弥生人骨のうち、佐賀県東部や福岡県で発見されたものは、長身で顔が高く、顔面の凹凸が少ない渡来系人骨が多い。
長崎県など西北部九州は、低身で顔が低く、彫りの深い縄文系人骨が多い。このことから、渡来系の人々がやってきたのは、主に福岡平野以東だったと考えられている。

顔の移り変わり

縄文人は、ほりが深く、濃い眉と髭、厚い唇、角張った顔である。弥生人は平面的な顔で、薄い眉と髭、薄い唇、曲線的な楕円形の顔である。現代人は両者の血を受け継いだと考えられ、堅い物を食べなくなったせいか、幅が狭く下顎も狭い。(画像提供:東京大学工学部/原島博)

外部リンク

土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアム

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