寺田屋事件
現在の寺田屋(画像出典: デジタル大辞泉)

寺田屋事件


Previous Post

Next Post

寺田屋事件 A.D.1862〜

上京した薩摩藩島津久光を擁して討幕挙兵を策した、尊王攘夷派の薩摩藩士有馬新七らを、幕政の改革の妨げになるとして、伏見の寺田屋において久光の使者が斬殺した事件。

寺田屋事件

上京した島津久光を擁して討幕挙兵を策した薩摩藩士有馬新七らを、幕政の改革の妨げになるとして、伏見の寺田屋において久光の使者が斬殺した事件。

created by Rinker
¥946 (2024/04/24 19:54:15時点 Amazon調べ-詳細)
ASIN: 4634013045

近代国家の成立

開国と幕末の動乱

公武合体と尊攘運動

幕府による公武合体策は頓挫したが、11代将軍家斉の夫人が島津重豪しまづしげひで(1745〜1833)の子で近衛家の養女であったことなどから知られるように、朝廷·幕府の双方につながりの深い外様の薩摩藩が、独自の公武合体策の実現に動いた。藩主の父島津久光しまづひさみつは1862(文久2)年、寺田屋事件などで藩内の尊王攘夷派をおさえつつ、勅使大原重徳おおはらしげとみ(1801〜79)とともに江戸に赴き、幕政の改革を要求した。幕府は薩摩藩の意向を入れて、松平慶永を政事総裁職に、徳川慶喜を将軍後見職に任命した。

尊王攘夷運動 八月十八日の政変
尊王攘夷運動の展開地図 ©世界の歴史まっぷ

また、京都所司代などを指揮して京都の治安維持にあたる京都守護職を新設して、会津藩主松平容保まつだいらかたもり(1835〜93)をこれに任命し、あわせて参勤交代を3年に1回に緩和し、西洋式軍制の採用、安政の大獄以来の処罰者の赦免など、文久の改革と呼ばれる改革を行った。

created by Rinker
¥2,750 (2024/04/24 19:51:39時点 Amazon調べ-詳細)
ASIN: 4634010739
created by Rinker
¥2,750 (2024/04/24 19:51:39時点 Amazon調べ-詳細)
ASIN: 4634010739
広告
Previous Post

Next Post