常勝軍 捻軍 19世紀半ばの東アジア地図 太平天国の興亡
19世紀半ばの東アジア地図 ©世界の歴史まっぷ

捻軍


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捻軍 ねんぐん ( A.D.1850〜A.D.1860年代)
安徽・河南・山東・江蘇で活躍した塩の密売を行う武装集団による反乱軍。太平天国に呼応し協同するものもあった。太平天国滅亡後も活動を続けたがやがて淮軍に鎮圧された。弱きを助け強きを挫くという任侠的気質から民衆の支持を受ける一面もあった。

捻軍

安徽あんき・河南・山東・江蘇で活躍した塩の密売をおこなう武装集団(捻子)による反乱軍。太平天国に呼応し、協同するものもあった。太平天国滅亡後も活動を続けたが、68年に淮軍に鎮圧された。

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アジア諸地域の動揺

東アジアの激動

太平天国の興亡
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アヘン戦争後、アヘン輸入量の増加や多額の賠償金の支払いは、銀価の高騰や重税となって民衆にはねかえり、おりからの天災も加わって、民衆の生活をいちだんと苦しめた。失業者や流民の数は増え、地方の治安は悪化した。民衆の間では結社をつくってたすけ合い、生活を守っていこうとする動きが高まった。19世紀半ばころになるとこれらの結社は各地で反乱をおこすようになるが、そのなかで最大のものが太平天国の乱であった。また、華北農民を中心とした捻軍ねんぐん捻匪ねんぴ)なども有名であり、会党かいとう 清の衰退)の活動なども活発化した。

1864年6月には天王洪秀全が病死し、翌月には天京が陥落して、太平天国は滅亡した。その後、太平軍の残党は華北の捻軍と合流して抵抗を続けたが、やがて各個に撃破され鎮圧されていった。なお、太平軍の残党の中には、劉永福りゅうえいふく(1837〜1917)の黒旗軍こっきぐんのように、ベトナムに入り、阮朝を助けてフランス軍と激戦を展開したものもあった。劉永福は、清仏戦争(1884〜85)に際しては、清朝側に立ってフランス軍を苦しめている。

捻軍

捻軍ねんぐんは、もともと華北地方の塩の密売業者や無頼の遊民からなるアウトロー集団であった。また「弱きをたすけ、強きをくじく」という任侠的気質から、民衆の支持を受ける一面があった。太平天国がおこると、捻軍は、これに呼応するかたちで窮乏農民を内部に取り込みつつ、華北各地で反乱活動を展開していった。また捻軍のほかにも、太平天国と並行して回民かいみんイスラーム教徒)の反乱や、白蓮教系結社・会党などの蜂起が各地で発生し、1853年には小刀会しょうとうかいなる会党が上海を占領する事件もおきている。

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