李自成


Previous Post

Next Post

李自成( A.D.1606〜A.D.1645)

李自成りじせいは、明を滅ぼすも清に破れる。1628年、陝西地方に大飢饉が起こると反乱に加わってその首領となり、各地を転戦して、1643年には新順王を称し、西安を占領。翌年、北京を攻略して明を滅ぼすが、清の援助をうけた呉三桂の攻撃に敗退、湖北で殺害された。

参考 デジタル大辞泉

李自成

明を滅ぼすも清に破れる

反乱指導者。明を滅ぼし、大順だいじゅんを建国したが、清の援助をうけた三桂ごさんけいに敗れて自殺した。

created by Rinker
¥2,090 (2024/04/24 19:53:23時点 Amazon調べ-詳細)
ASIN: 4791620615

ビジュアル百科 世界史1200人 1冊でまるわかり!

アジア諸地域の繁栄

東アジア・東南アジア世界の動向

東アジアの状況
明の滅亡

東林派・非東林派の政争が激化し混乱を極めていった明朝では、17世紀前半に即位した崇禎帝すうていてい毅宗きそう 位1627〜1644)が、東林派・非東林派の政争を抑え、宦官忠賢を排除し、徐光啓じょこうけいらを用いて財政の再建に努めた。しかし、中国東北地方の女真族がヌルハチに率いられて強大となり、これを抑えるために明は軍隊を派遣した。軍事費を捻出するために新税を設けねばならず、また相つぐ飢饉で社会は疲弊し、ついには各地で反乱がおこり、明は内部分裂の状態となった。陜西せんせい地方の農民反乱のリーダーである李自成りじせい(1606〜1645)は、1644年、北京を陥落させ、崇禎帝は自殺し、ここに明は滅亡した。

東アジアの状況 – 世界の歴史まっぷ

詳説世界史研究

広告
Previous Post

Next Post