毛越寺
毛越寺の浄土式庭園 Wikipedia

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毛越寺 もうつうじ

12世紀中頃に奥州藤原氏第2代当主藤原基衡が造営した寺院。国内最大の浄土庭園には、平安時代の遺構としては日本唯一、最大規模の「遣水」が残る。2011年、中尊寺などとともに、世界遺産「平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―」に登録された。

毛越寺

世界遺産「平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―」

中尊寺、毛越寺、観自在王院跡、無量光院跡、金鶏山の5資産からなる「平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―」は、この地の豪族であった奥州藤原氏ゆかりの遺産。東北に極楽浄土を創り上げようとした藤原清衡の思いが代々受け継がれ、11世紀後半から12世紀後半の約100年間にわたり平泉は文化の隆盛を誇った。藤原清衡堀河天皇の勅命を受けて中尊寺を再興し、金色堂を建立した。2代藤原基衡は毛越寺を再興。観自在王院は基衡の妻が建立し、無量光院は3代藤原秀衡が造営している。

藤原氏は政治の主体が貴族政治から武家政治へ転換していく時代のなか、奥州で産出される金の力を背景に、軍事に頼らない平和的な政治をこの地に実現させた。この遺産は、平泉が東北地方の行政の中心であり、さらには京都と肩を並べるほどの都市であったことを今に伝えている。

構成資産は、8〜12世紀に日本に広まった仏教の浄土思想の宇宙観に基づいている。6世紀に日本へと伝来した仏教は、日本古来の自然崇拝と結びついて、独特の展開を見せた。11世紀末には末法思想が広がり、浄土思想が興隆したことで、人々は現世の心の平和はもちろん、死後に仏国土(浄土)に行き成仏することを切望するようになった。

浄土思想は日本人の死生観の醸成に重要な役割を果たし、当時の建築や庭園にもその思想があらわれている。金色堂は、阿弥陀如来の仏国土を表現した仏堂建築であり、自然崇拝と仏教の融合は、庭園設計と造園によって仏国土を現世に創り上げるという、日本独自の方法を生み出した。

建築・庭園群の理念や意匠などには、仏国土が三次元的に表現され、浄土思想を直接的に反映している。また、宗教儀式や民俗芸能などの無形の諸要素も受け継がれている。

仏教とともに伽藍造営や作庭の技術も伝来したが、これが日本古来の水辺の祭祀場における水景の理念と結びついて、独自の浄土庭園を完成させた。このような浄土庭園は、東アジアにおける建築・作庭技術の価値観の交流を示している。

遣水やりみず:平安時代の寝殿造りの庭園で作られ始めた、池へ水を導く浅い水路。自然の谷川を表現した遣水で「曲水の宴」などが催された。
浄土思想:死後に極楽浄土へ行き、仏になることを説く教え。
浄土庭園:寺院建造物と園池を配し、浄土の再現を目指した庭園様式。
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12世紀中頃に奥州藤原氏第2代当主藤原基衡が造営した寺院。国内最大の浄土庭園には、平安時代の遺構としては日本唯一、最大規模の「遣水」が残る。


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