法隆寺金堂釈迦三尊像 1「飛鳥の朝廷」まとめ2/2 - 飛鳥の朝廷と文化
法隆寺金堂釈迦三尊像 ©世界の歴史まっぷ

法隆寺金堂釈迦三尊像


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法隆寺金堂釈迦三尊像 (623年)

金銅像。聖徳太子死後の623年、妃や王子たちが鞍作鳥くらつくりのとり止利仏師とりぶっし)につくらせた。左右対象の形式的な硬さはあるが、表現が力強く純粋。北魏様式の飛鳥仏の典型。

法隆寺金堂釈迦三尊像

金銅像。聖徳太子死後の623年、妃や王子たちが鞍作鳥くらつくりのとり止利仏師とりぶっし)につくらせた。左右対象の形式的な硬さはあるが、表現が力強く純粋。北魏様式の飛鳥仏の典型。

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律令国家の形成

飛鳥文化

推古朝を中心とする時代の文化を、当時の宮の所在地を冠して飛鳥文化と呼んでいる。

飛鳥文化の特色は、当初は渡来人や蘇我氏など限られた人々によって信仰されていた仏教が、国家の保護を受けるようになって広く浸透し、最初の仏教文化と称すべき状況にいたった点に求められよう。

594(推古天皇2)年には仏教興隆の詔が出され、仏教が政治の基本に捉えられた。

仏教の普及に大きく寄与したのは、蘇我氏と厩戸王(聖徳太子)とであった。厩戸王は、自ら「三経の義疏さんぎょうのぎしょ」という、法華ほけ経・維摩ゆいま経・勝鬘しょうまん経の三つの経典の注釈書を著したと伝えられるなど、仏教に対して深い理解をもっていたとされる。

大王家や諸豪族は、古墳に変わってその権威を示し、氏の政治的結集の場とするために、きそって氏寺うじでらを建立した。
蘇我馬子が発願し、朝廷の保護を受け、588年に建立が始まった飛鳥の飛鳥寺(法興寺)、厩戸王の発願によると伝えられ、593年に建立された難波の四天王寺や、607年に建立された斑鳩いかるが斑鳩寺(法隆寺秦河勝はたのかわかつの発願により603年に建立された山背やましろ広隆寺などがその代表的な例である。
その他、飛鳥をはじめとする全国各地に、礎石の上に丹塗にぬりの巨大な柱をおき、屋根を瓦で葺いた、これまでの倭国の建築様式とはかけ離れた規模と様式をもつ寺院が、続々と建立された。
そして639(舒明天皇11)年には、百済大寺くだらおおでらの造営が始まった。これは大王が造営した初めての寺院として、大きな意義を持つ。

法隆寺再建論争

『日本書紀』は、法隆寺が天智天皇9(670)年に罹災りさいし、一屋も残さず焼亡したという記事を載せている。
この記事と現存する法隆寺西院の建築物との関係をめぐっては、明治以降、論争が続いた。
しかし1939(昭和14)年、現在の中門の南東から四天王寺式の伽藍がらん跡が発掘されたことから(若草伽藍跡)、これが厩戸王によって建立された最初の斑鳩寺であり、現在の法隆寺西院の建築物は、白鳳期に再建されたものであるとの説が有力になった。

しかし、当時の支配者層のすべてが、仏教の深遠しんえんにして複雑な教理をよく理解していたとはとてもいえない。
厩戸王や一部の渡来人を除けば、一般には、仏教は祖先の冥福を祈ったり、病気の回復を願うための、呪術の一種として認識されていたようである。

仏教が人々の心に深い印象を残したのは、その世界宗教としての教理よりも、壮大な寺院建築や、厳かに輝く仏像によるところが大きい。当時の仏像彫刻(飛鳥仏)は、中国の北朝の様式を受け継いだもの(北魏様式)と、南朝の様式を受け継いだもの(南陵様式)とに分類できる。それぞれ、高句麗・百済を経て倭国に伝わったものであろう。

北魏様式は、鞍作鳥くらつくりのとり止利仏師とりぶっし)とその系統の手になるもので、整った厳しい表情のなかに、古式微笑をたたえ、超現実的・象徴的な印象を与える。最古の仏像とされる飛鳥寺の飛鳥大仏(金銅像であるが後世の補修が多い)(重要文化財指定名称:銅造釈迦如来坐像)をはじめ、法隆寺金堂釈迦三尊像(金銅像)(国宝名:銅造釈迦如来及両脇侍像〈止利作/(金堂安置)〉)、法隆寺夢殿ゆめどの救世観音像ぐぜかんのんぞう(木像)などが、その代表的な例である。

国宝・重要文化財データ

  • 名称 銅造釈迦如来及両脇侍像〈止利作/(金堂安置)〉
  • 員数 3躯
  • 種別 彫刻
  • 国 日本
  • 時代 飛鳥時代
  • 年代 623年
  • 作者 鞍作止利くらつくりのとり
  • ト書 光背裏面に癸未年敬造の銘がある
  • 区分 国宝
  • 国指定年月日 1951年6月9日(昭和26年)
  • 所在都道府県 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1
  • 所在地 奈良県
  • 保管施設 法隆寺
  • 所有者名 法隆寺

参考 国指定文化財等データベース

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