朝鮮問題 甲申政変
朝鮮暴徒防禦図 壬午軍乱で襲撃された日本大使館(歌川国松画/WIKIMEDIA COMMONS)©Public Domain

甲申政変


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甲申政変 こうしんせいへん A.D.1884〜
開化派が閔氏政権打倒と国政改革を目指しておこした政変。開化派は清からの独立と近代化を掲げ、日本の支援を受け、漢城で閔氏ら守旧派打倒のクーデタを敢行した。開化派は一時政権を掌握したが、清軍の介入で新政府は倒れ、金玉均朴泳孝は日本に亡命した。

甲申政変

開化派が閔氏政権打倒と国政改革を目指しておこした政変。開化派は清からの独立と近代化を掲げ、日本の支援を受け、漢城で閔氏ら守旧派打倒のクーデタを敢行した。開化派は一時政権を掌握したが、清軍の介入で新政府は倒れ、金玉均・朴泳孝は日本に亡命した。

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漢城で起こった事件。独立党が日本大使館と結び、清仏戦争(1884年, 翌年に仏がベトナムを保護化)に敗れたのを好機とし、クーデタを起こして事大党を追放したが、清の干渉で失敗。日朝間で漢城条約を結んで決着した。

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アジア諸地域の動揺

東アジアの激動

甲午農民戦争と日清戦争

日朝修好条規の締結は、朝鮮の宗主国の立場にあった清を刺激し、清朝側でも李鴻章が中心となって朝鮮に対する干渉政策が推進された。おりしも朝鮮内部では複雑な政治抗争が展開され、これにからむかたちで朝鮮半島における日・清の対立が深まっていった。まず1882年、当初日本に接近して内政改革を進めていた閔妃びんひ(1851〜95, 国王高宗の妃)派の政府に対し、保守派の大院君が軍隊を扇動してクーデタをおこし、日本公使館が焼き打ちされるなどした。朝鮮に対する干渉強化の好機とみた清朝は、大軍を派遣して大院君を捕らえ、閔妃政権を復活させた。これを壬午軍乱じんごぐんらん(壬午政変)といい、この事件後、閔妃派は急速に清に接近するようになった。このように清の勢力下で朝鮮の安全維持をはかる一派を事大党じだいとうと呼ぶ。これに対し、金玉均きんぎょくきん(キムオッキュン 1851〜94)ら急進的改革による朝鮮の近代化をめざす一派は独立党と呼ばれ、日本の明治維新をモデルとし、日本との提携をはかっていった。1884年、清仏戦争における清の敗戦に乗じ、独立党は日本の後援下に事大党政権打倒のクーデタをおこしたが、清軍の出動によって失敗に終わった。これを甲申政変こうしんせいへん(1884, 甲申事変)という 。 事件後、日清間に天津条約(甲申政変)が結ばれ、両国の朝鮮からの共同撤兵や、非常時の出兵に際しての事前通告などが約されたが、朝鮮における日本勢力の後退は明らかであった。

独立党の指導者金玉均は日本に亡命したのち、日清戦争直前に上海で閔妃政府の刺客に暗殺され、遺体はソウルに運ばれてさらされた。
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甲申政変が登場する作品

ドラマ「明成皇后」

ドラマ「明成皇后」登場人物相関図
明成皇后 神貞王后 高宗(朝鮮)
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