明治六年の政変 留守政府
留守政府の動きと明治六年の政変 ©世界の歴史まっぷ

留守政府


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留守政府るすせいふ
1871年(明治4年)12月23日 – 1873年(明治6年)9月13日 明治政府首脳部で組織された岩倉使節団が欧米歴訪中に留守を守るために組織された体制。

留守政府

初期の国際問題
西海騒揺起原征韓論之図(永嶋孟斎画/元画像出典:国立国会図書館))

明治4年7月14日(1871年8月29日)に断行された廃藩置県の後始末が済まないうちに、岩倉使節団の計画が持ち上がり最終的に岩倉具視大久保利通木戸孝允ら明治政府を主導してきた首脳の多くが加わる一大使節団となったことから、使節団の外遊中の留守を守るとともに廃藩置県の後始末を行うための組織として太政大臣三条実美を筆頭に西郷隆盛井上馨大隈重信板垣退助・江藤新平・大木喬任らによって結成された。

参考 留守政府 – Wikiwand

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