バラモン バラモン教
チョラデビ女王とアンギラス ©Public domain

バラモン教


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バラモン
後期ヴェーダ時代(紀元前1000年頃〜紀元前600年頃)、バラモン司祭者のもとでヴェーダの神々を崇拝する宗教をバラモン教と呼ぶ。アーリア人がインダス川上流地方に侵入し、先住民を征服してこの地方に定住、発展する間に次第に形成された信仰。これにインドの民間信仰を融合したヒンドゥー教に発展する。

バラモン教

インド古代の宗教。バラモンが司祭し指導したためヨーロッパ人が便宜的につけた名称。仏教興起以前のヒンドゥー教をいい、そのうちの最古の段階を「ベーダの宗教」ということもある。アーリア人がインダス川上流地方に侵入し、先住民を征服してこの地方に定住、発展する間に次第に形成された信仰。彼らは自然現象を神々として畏敬し、供犠によって神を祭ることで災厄を免れ、幸福がもたらされると信じた。この祭りを司るバラモンが最高の階級で、王族 (クシャトリヤ) を第2、農工商人 (バイシャ) を第3、被征服民の奴隷 (シュードラ) を最下位とするカーストをつくり上げた。やがてガンジス川上・中流へ広がっていく間に、この祭祀中心主義への反省批判が起り、自然現象の背後にあって現象を動かす原理としての梵 (ブラフマン) と、自己の内奥にある純粋無垢の我 (アートマン) とが融合する梵我一如の境地を追求する思想が出現。ここから祭祀にとらわれない自由思想家群が現れ、このなかからブッダやマハービーラが出て、仏教やジャイナ教を説いた。他方、一般の人々に対しては現象を動かす原理である梵を神とし、この神ブラフマーを唯一最高神とする信仰を説くこととなり、このような最高神として、ほかにシヴァ神やヴィシュヌ神崇拝が出現しのちのヒンドゥー教となった。

参考 ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 プラス世界各国要覧 2018

アジア・アメリカの古代文明

アジア・アメリカの古代文明
アジア・アメリカの古代文明 ©世界の歴史まっぷ

インドの古代文明

バラモン教とヴァルナ制度

アーリヤ系民族の一部は、紀元前1000年頃から東方への移動を開始し、肥沃なガンシス川上流域の各地に村落を設けて定着農耕の生活に入った。それから以後の400年を後期ヴェーダ時代(紀元前1000年頃〜紀元前600年頃)と呼ぶ。この時代の前半には『リグ・ヴェーダ』に続く3つのヴェーダ、すなわち歌詠の方法をまとめた『サーマ・ヴェーダ』、祭詠を集めた『ヤジュル・ヴェーダ』、呪語を集めた『アタルヴァ・ヴェーダ』がつぎつぎに成立した。以上の4つのヴェーダは、バラモン教の根本聖典とされた。これらはまた初期のアーリヤ系民族の宗教や社会を知るための貴重な資料であり、サンスクリット語(梵語)の祖形であるその言語は、インド=ヨーロッパ語の最古形のひとつを伝えるものとして重要である。

アーリヤ人の来住 インダス文明とアーリヤ人の進入地図
インダス文明とアーリヤ人の進入地図 ©世界の歴史まっぷ
紀元前800年ころ鉄器の使用が始まると、ガンジス川中流域の森林地帯の開拓が進んだ。またアーリヤ系民族はこの地で先住民から稲の栽培の技術を学び、農耕生活は一層安定した。
余剰生産の増大とともに、生産に直接従事しない司祭者や王侯武士階級の人口も増え、ここにバラモン(司祭者)、クシャトリヤ(王侯・武士)、ヴァイシャ(農・牧・商に従事する庶民)、シュードラ(先住民を主体とする奴隷階級)からなる4ヴァルナ制度(種姓制度)が成立した。
ヴァルナ制 ヴァルナ(種姓制度)図 バラモン教とヴァルナ制度
ヴァルナ(種姓制度)図 ©世界の歴史まっぷ

これはカースト制度の初期の形態と言えるものである。この時代にはまた王権がしだいに強化され、小さな王国が各地に誕生した。
インドの二大叙事詩『マハーバーラタ』と『ラーマーヤナ』は当時の王族たちの活躍を歌ったものである(今日の形にまとめられたのは西暦後3〜4世紀頃)。

同じころ、宗教のうえにも大きな変化がみられた。バラモン(司祭者)のもとでヴェーダの神々を崇拝する宗教をバラモン教と呼ぶが、この宗教の祭式至上主義・形式主義に満足しないものたちの間に内面的な思索を重視する一派が現れたのである。彼らが発達させた宗教はウパニシャッド哲学と呼ばれ、ヴェーダの付属文献のひとつ『ウパニシャッド(奥義書)』の中にまとめられている。この哲学の中心思想は、宇宙の根本原理ブラフマン(梵)と自我の根本原理アートマン(我)とが究極的に同一である(梵我一如ぼんがいちにょ)と悟ることによって解脱の境地に到達できるというものである。またこの哲学には「霊魂は不滅であり、行為カルマごう)の結果に従ってさまざまに姿を変えて生まれ変わる」という輪廻思想の初期のかたちも見出される。輪廻思想は後世の諸宗教に大きな影響を与え、またカースト制度を支える思想ともなった。

ヴァルナとカースト

ヴァルナとは「色」を意味する語。アーリヤ人がインドに入ったころ、肌の色の違いが身分の違いを意味していたところから、この語は「身分」「階級」の意味でも使われるようになり、混血が進み肌の色と身分の対応関係がなくなってからも後者の意味で使われ続けた。ヴァルナの内部に多数存在するカースト集団をインドでは「生まれ(を同じくするものの集団)」を意味するジャーティと呼んできた。このジャーティを15世紀末からインドにやってきたポルトガル人が、自国語で「血統」「家柄」を意味するカスタ(語源はラテン語のカストゥス)と呼び、ここからカースト制度という呼称が生まれた。

バラモン教とヴァルナ制度 – 世界の歴史まっぷ

歴史

  • 紀元前13世紀頃、アーリア人がインドに侵入し、先住民族であるドラヴィダ人を支配する過程でバラモン教が形作られたとされる。
  • 紀元前10世紀頃、アーリア人とドラヴィダ人の混血が始まり、宗教の融合が始まる。
  • 紀元前7世紀から紀元前4世紀にかけて、バラモン教の教えを理論的に深めたウパニシャッド哲学が形成される。
  • 紀元前5世紀頃に、4大ヴェーダが現在の形で成立して宗教としての形がまとめられ、バラモンの特別性がはっきりと示される。しかしそれに反発して、多くの新しい宗教や思想が生まれることになる。現在も残っている仏教やジャイナ教もこの時期に成立した。
    新思想が生まれてきた理由として、経済力が発展しバラモン以外の階級が豊かになってきた事などが考えられる。カースト、特にバラモンの特殊性を否定したこれらの教えは、特にバラモンの支配をよく思っていなかったクシャトリヤに支持されていく。
  • 1世紀前後、地域の民族宗教・民間信仰を取り込んで行く形でシヴァ神やヴィシュヌ神の地位が高まっていく。
  • 1世紀頃にはバラモン教の勢力は失われていった。
  • 4世紀になり他のインドの民族宗教などを取り込み再構成され、ヒンドゥー教へと発展・継承された。

参考 Wikipedia

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