鶴岡八幡宮
鶴岡八幡宮舞殿と本宮 Wikipedia

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鶴岡八幡宮 つるがおかはちまんぐう

武家源氏、鎌倉武士の守護神。鎌倉初代将軍源頼朝ゆかりの神社。源頼義が奥州を平定して鎌倉に帰り、源氏の氏神として出陣に際してご加護を祈願した京都の石清水八幡宮を由比ヶ浜辺にお祀りしたのが始まりで、源氏再興の旗上げをした源頼朝は、1180(治承4)年、鎌倉に入り直ちに御神意を伺って由比ヶ浜辺の八幡宮を現在の地に遷し、1191(建久2)年には鎌倉幕府の宗社にふさわしく上下両宮の現在の姿に整え、鎌倉の町づくりの中心とした。現在の御本殿は、1828(文政11)年、江戸幕府11代将軍徳川家斉の造営による代表的な江戸建築で、 若宮とともに国の重要文化財。 源頼朝、源実朝を祀る白旗神社、静御前ゆかりの舞殿や段葛など。

鶴岡八幡宮

源氏の氏神であり鎌倉の中心となる

源義家の父である源頼義が、前九年の役のあとに石清水八幡宮をこの地(神奈川県鎌倉市)に勧請したもの。その後、鎌倉のまちづくりの中心となる。

参考 ビジュアル版 日本史1000人 上巻 -古代国家の誕生から秀吉の天下統一まで

御由緒

御祭神
応神天皇おうじんてんのう比売神ひめがみ神功皇后じんぐうこうごう

1063(康平6)年、源頼義が奥州を平定して鎌倉に帰り、源氏の氏神として出陣に際してご加護を祈願した京都の石清水八幡宮を由比ヶ浜辺にお祀りしたのが始まりです。
その後、源氏再興の旗上げをした源頼朝公は、1180(治承4)年、鎌倉に入るや直ちに御神意を伺って由比ヶ浜辺の八幡宮を現在の地にお遷しし、1191(建久2)年には鎌倉幕府の宗社にふさわしく上下両宮の現在の姿に整え、鎌倉の町づくりの中心としました。また、頼朝公は流鏑馬や相撲、舞楽など、今日にも引き継がれる社頭での神事や行事を興し、 関東の総鎮守として当宮に厚い崇敬の誠を寄せたのです。以降、当宮は武家の精神のよりどころとなり、国家鎮護の神としての信仰は全国に広まりました。当宮への信仰を背景に鎌倉を中心として興った質実剛健の気風は、その後「武士道」に代表される日本人の精神性の基調となりました。 現在では国際的史都鎌倉の中心的施設として国の内外より年間を通して数多の参拝者が訪れます。

現在の御本殿は、1828(文政11)年、江戸幕府11代将軍徳川家斉の造営による代表的な江戸建築で、 若宮とともに国の重要文化財に指定されています。 深い杜の緑と鮮やかな御社殿の朱色が調和する境内には源頼朝公、実朝公をお祀りする白旗神社をはじめとする境内社のほか、静御前ゆかりの舞殿や段葛が八百年の長い歴史を伝えています。

参考 公式サイト

日本、〒248-8588
神奈川県鎌倉市雪ノ下2丁目1−31


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