ルイ7世(フランス王)


ルイ7世(フランス王)
フランス・カペー朝第6代国王(在位:1137年 – 1180年)。ルイ6世(フランス王)と2番目の王妃アデル・ド・サヴォワの息子。 若年王と呼ばれる。

ルイ7世(フランス王)

生涯

1120年

第5代フランス王・ルイ6世(肥満王)と2番目の王妃アデル・ド・サヴォワの間に生まれ、サン=ドニ修道院に育ち、院長シュジェールの教えを受けて育つ。

1131年

父王の共同国王の位についていた兄・フィリップ・ド・フランス(長男)が落馬事故で15歳で早世したため、弟のルイ7世が共同国王となる。
同年、父王・ルイ6世の死にともない単独のフランス王となる。

1137年

アキテーヌ女公アリエノールと結婚。

1147年

第2回十字軍に参加。
主な参加者: ルイ7世(フランス王)と王妃アリエノール、コンラート3世(ドイツ王)、シュヴァーベン公フリードリヒ(後の皇帝フリードリヒ1世)等。
イングランド、ノルマンディーはスティーヴン王の無政府時代のため、まとまった出兵は行えなかった。
結果: ダマスカスの攻防戦に大敗し撤退。途中、ルイ7世は王妃エレアノールの叔父アンティオキア公レーモンからエデッサ伯領奪回を持ちかけられるが、断りイェルサレムに向かったため、両者に亀裂が生じ、ルイ7世は帰国後アリエノールと離婚する。(名目は近親婚)

1154年

離婚したアリエノールが、アンジュー伯アンリ(後のイングランド王ヘンリー2世)と再婚したため、ルイ7世はアキテーヌ領を失い、長らくヘンリー2世と争う(1157年 – 1180年)。の後もイングランド王と西フランスの支配をめぐって紛争を重ね、英仏間の百年戦争の遠因となる。

系図

系図の全体図はこちら 百年戦争前後のイングランドとフランスの君主一覧と系図

ヘンリー2世(イングランド王)
ヘンリー2世(イングランド王)系図

1154年

1154年にカスティーリャ王アルフォンソ7世の娘コンスタンスと結婚し2女をもうけたが、1160年に死別する。
同年、シャンパーニュ伯ティボー2世の娘アデルと3度目の結婚。
最初の妃アリエノールとの間にもうけたマリーとアリックスの娘2人をアデルの兄2人と婚約させ、1164年に嫁がせる。

1165年

アデルとの間に待望の男子フィリップ(のちのフィリップ2世(フランス王))が誕生。

子女

  • 王妃アリエノール・ダキテーヌ
    • 流産(1137年)
    • マリー(1145年 – 1198年) – シャンパーニュ伯アンリ1世妃
    • アリックス(1150年 – 1183年) – ブロワ伯ティボー5世妃
  • 王妃コンスタンス・ド・カスティーユ
    • マルグリット(1158年 – 1197年) – イングランド国王・若ヘンリー(父ヘンリー2世と共治)妃、若ヘンリー没後にハンガリー王ベーラ3世妃
    • アデル(アデライードとも、1160年 – 1220年頃) – リチャード獅子心王の婚約者、のちポンチュー伯ギヨーム4世妃、ヴェクサン女伯
  • 王妃アデル・ド・シャンパーニュ
    • フィリップ(1165年 – 1223年) – フランス王
    • アニェス(アンヌとも、1171年 – 1220年) – 東ローマ皇帝アレクシオス2世コムネノス后、同アンドロニコス1世コムネノス后、テオドロス・ブラナス妃
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