中世文学のおこり
吉田兼好(菊池容斎画)©Public Domain

中世文学のおこり

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中世文学のおこり

学問では、政治的にふるわなくなった貴族層はこの分野でも精彩を欠き、新しい思索を展開する努力はみられず、もっぱら古典の研究や有職故実の習得に従事していた。古典研究が盛んであったのは貴族政治の華やかな時代への憧憬からであり、『日本書紀』『万葉集』『源氏物語』の注釈書がつくられた。武士の学問への関心は薄かったが、北条氏の本家は政子以来、唐の政治論に興味を示しており、一門の北条実時(金沢実時)は、鎌倉の外港として栄えた金沢の称名寺に文庫をつくり、和漢の書を集めて学問の便をはかった(金沢文庫)。

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和歌

新しい中世の文学は、当時の仏教思想と結びついて現れた。武士の家に生まれた西行さいぎょう(1118〜90)は世の無常を感じて妻子を捨てて出家し、平安時代末期の動乱の諸国を遍歴しつつ、清新な秀歌を詠んだ。彼の歌集を『山家集さんかしゅう』という。『方丈記ほうじょうき』の作者鴨長明かものちょうめい(1155?〜1216)は京都日野山ひのさんに小さないおりを結んで隠遁しいんとんし、動乱期におこった事件を書き記しながら、人生の無常を説いた。漂泊・隠遁した彼らはともに中世的な世捨て人であり、隠者の文学の代表者であった。反対に天台座主ざす(天台宗の代表者)の顕色けんしょくにあった慈円(1155〜1225)は、衰退していく貴族の運命を冷静に観察し、貴族出身者としての強い危機感をもって『愚管抄ぐかんしょう』を著した。これは神武天皇から順徳天皇までの歴史書で、慈円は歴史を貫く原理を探り、道理による歴史解釈を試みている。慈円の説く道理は諸行無常を強調する末法思想に基づいており、ここにも当時の仏教の影響がみてとれる。

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このころ貴族文学は、和歌の分野で最後の光芒こうぼうを放っていた。後鳥羽上皇は院中に和歌所わかどころをおき、藤原定家(1162~1241)・藤原家隆(1158~ 1237)・寂蓮法師(1139?~1202)らに命じて『新古今和歌集』を選ばせた。この歌集に選ばれた優れた歌人は、先述の選者3人のほかに後鳥羽上皇・九条兼実の子の九条良経・兼実の弟の慈円西行らであった。その歌風は新古今調といわれ、洗練され、技巧的であると評される。また、歌を詠むことは教養の第一であったから、武士のなかにも歌を学ぶ者が現れた。藤原定家に師事して万葉調の歌を詠み、歌集『金槐和歌集』を残した将軍源実朝はその代表である。けれどもこうして栄えた歌壇も、鎌倉時代中期以降になるとしだいに衰えて
いった。歌道の師範として朝廷に仕えた定家の子孫も、二条・京極・冷泉の3家にわかれて互いに家元を争い、歌自体にはみるべきものがなくなっていった。

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小説

小説の方面では平安時代のような旺盛な創作力はみられず、『石清水物語』や『苔の衣』などの作品はあるが、いずれも平安文学の域には達していない。

史書

歴史文学としては『今鏡いまかがみ』と『水鏡みずかがみ』がつくられた。いずれも『大鏡おおかがみ』の影響を受けた仮名書きの歴史書である。『水鏡』は『大鏡』以前の、『今鏡』は『大鏡』以後の歴史を記したものであるが、 ともに『大鏡』に及ばない。

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歴史書として注目すべきは、先述の慈円の『愚管抄』と『吾妻鏡』であろう。『吾妻鏡』は鎌倉幕府によって編まれた史書で、幕府の歴史を日記体で記している。北条氏の強い影響下に成立していて、北条氏の権勢を正当化するための脚色もみられるが、現在の歴史研究に必要不可欠な史料となっている。仏教書としては虎関師錬こかんしれん(1278~1346)の『元亨釈書げんこうしゃくしょ』がある。

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日記・紀行文

日記・紀行文学には『東関紀行』『海道記』『十六夜日記いざよいにっき』などがある。鎌倉という新しい都市が出現し、京都と鎌倉とを結ぶ東海道の交通が盛んになり、こうした旅行記が書かれた。このうち『十六夜日記』は藤原定家の子為家(1198~1275)の妻、阿仏尼あぶつに(?~1283)が書いたものである。実子冷泉為相れいぜいためすけ(1263~1328)が先妻の子為氏に奪われた細川荘を取り返そうと、幕府に訴えるため鎌倉に下ったときの紀行文で、子を思う母の気持ちがよく表れている。

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説話文学

平安時代後期以来盛んであった説話文学では、『宇治拾遺物語』『十訓抄じっさんしょう』『古今著聞集ここんちょもんじゅう』がつくられた。また仏教説話集として、『宝物集』『発心集』などの教理を説く説話集がつくられた。これらを読み解くことにより、当時の人々の考え方や価値観に迫ることができる。

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随筆

この時代の末に成立した卜部兼好うらべけんこう(吉田兼好)(1283?~ 1352?)の『徒然草』は、随筆の名作として名高い。兼好は下級官吏として朝廷に仕え、のちに出家した人物で、歌人・有職故実ゆぞくこじつ家として著名であった。鋭い観察眼をもって朝廷・幕府のありさまを見続けた成果がこの書であるが、鎌倉時代の知識人の思索の深まりをよく示している。

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軍記物語

鎌倉時代文学のなかで最も注目すべきは、戦いを題材に実在の武士の活躍を生き生きと描き出した軍記物語であろう。『保元物語』『平治物語』『平家物語』『承久記』などがあり、いずれも漢語に仏語を交えた力強い簡潔な仮名交りの文章、いわゆる和漢混清文で書かれている。なかでも『平家物語』は諸行無常・盛者必衰じょうしゃひっすいの理念のもとに、平家一門の栄枯盛衰を描いた傑作である。初めからら琵琶に合わせて語ることを予想してつくられていて、琵琶法師の語る平曲へいきょくとして語り伝えられ、文字の読めない民衆にも広く親しまれることになった。なお、その読み本として『源平盛衰記』などもつくられた。

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学問

学問では、政治的にふるわなくなった貴族層はこの分野でも精彩を欠き、新しい思索を展開する努力はみられず、もっぱら古典の研究や有職故実の習得に従事していた。古典研究が盛んであったのは貴族政治の華やかな時代への憧憬どうけいからであり、『日本書紀』の注釈書として卜部兼方うらべかねかた(生没年不詳)の『釈日本紀しゃくにほんぎ』が、『万葉集』の注釈書として僧仙覚せんがく(1203〜?)の『万葉集註釈』がつくられた。『源氏物語』に対しては、源光行(1163〜1244)・源親行(生没年不詳)父子の『水原抄すいげんしょう』がつくられた。また同様の理由から、朝廷の儀式や作法について研究する有職故実ゆうそくこじつの学も広まり、順徳天皇(位1210〜21)の『禁秘抄』や後鳥羽天皇の『世俗浅深秘抄せぞくせんしんひしょう』などの著作がある。

武士の学問への関心は薄かったが、好学の士も現れた。北条氏の本家は政子以来、唐(王朝)の『貞観政要じょうがんせいよう』などの政治論に興味を示しており、一門の北条実時(金沢実時)(1224〜76)も清原教隆きよはらののりたか(1199〜1265)から『群書治要ぐんしょちよう』の講義を聴いたという。実時は鎌倉の外港として栄えた金沢の称名寺しょうみょうじに文庫をつくり、和漢の書を集めて学問の便をはかった。これを金沢文庫という。

鎌倉時代の終わりころに、朱子学が伝えられた。当時は宋学と呼んでいる。南宋朱熹しゅきによって大成された儒学の一派であり、訓詁の学風を排し、思索を重んじ、名分をただそうとする学派である。わが国へは俊芿しゅんじょうや南北朝期の禅僧中巌円月ちゅうがんえんげつ(1300〜75)によって伝えられた。のち建武式目制定にも参加した僧玄恵げんえは朱熹の注によって朝廷で四書の講義をし、のちに南朝の中心人物となる北畠親篇きたばたけけちかふさらも彼に学んでいる。国家意識にめざめ、国家とは何かを再考する人々にとり、宋学はたいへん魅力的であったろう。最近では宋学が説く大義名分論の与えた影響を重要視し、後醍醐天皇の討幕運動の理論的基礎として位置づける試みがなされている。ただ、学問に造詣ぞうけいの深かった花園天皇(在位1308~18)は「朝廷では宋学が流行しているが、それぞれが勝手に自己流の解釈をしている」と痛烈に批判していて、朱子学をどれほど理解していたのか、疑間が残るところである。

伊勢神道

同じころ、従来の本地垂迹説ほんじすいじゃくせつとは反対の立場に立ち、 日本の神を主とし仏を従とする神道思想がおこった。国家意識の高揚が生んだ思想と考えられるが、伊勢外宮の神官度会家行わたらいいえゆき(生没年不詳)はこうした風潮のもとに『類聚神祇本源るいじゅうじんぎほんげん』を著し、伊勢神道いせしんとう(度会神道)を大成した。

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