大仙陵古墳(仁徳天皇陵) 古墳の造営
大仙陵古墳(仁徳天皇陵)Source: Google Map

古墳の造営
各地の有力な首長たちが大規模な古墳を営んだ3世紀後半から7世紀後半までを日本考古学では古墳時代と呼び、これをさらに前期(3世紀後半〜4世紀後半)・中期(4世紀末〜5世紀後半)・後期(5世紀末〜7世紀)に区分している。

古墳の造営

各地の有力な首長たちが大規模な古墳を営んだ3世紀後半から7世紀後半までを日本考古学では古墳時代と呼び、これをさらに前期(3世紀後半〜4世紀後半)・中期(4世紀末〜5世紀後半)・後期(5世紀末〜7世紀)に区分している。

この3時期区分では後期が前・中期に比べて長すぎるため、後期のうち前方後円墳がつくられなくなる7世紀を終末期として後期から分離する研究者も多い。むしろ日本歴史の時代区分としては、日本列島の古墳を代表する前方後円墳が造営された時代、すなわち前期から狭義の後期まで(3世紀後半〜6世紀末)を古墳時代とし、終末期はむしろ飛鳥時代として理解するのが適当であろう。

この時期、北海道・東北北半部と西南諸島を除く日本列島の各地に巨大な古墳が造営された。
古墳には、前方後円墳・前方後方墳・円墳・方墳など、様々な墳形がある。このほか、前方後円墳の前方部が短くなった帆立貝式古墳・双方中円墳・双円墳・双方墳・八角墳・上円下方墳などがある。このうち数が最も多いのは円墳であり、ついで方墳が多い。前期から後期を通じて大規模な古墳はいずれも前方後円墳であり、これが最も重要な墳形と考えられた。

日本列島の古墳を墳丘の規模の順に数えあげると、第1位から第44位までは全て前方後円墳であり、第45位の前方後方墳(奈良県天理市西山古墳)のあとはまた前方後円墳が続く。

古墳の時期区分

時期前期中期後期
3世紀後半〜4世紀後半4世紀末〜5世紀後半5世紀末〜7世紀
分布近畿中央部近畿中央部から各地へ全国に拡大
形態近畿中央部に大規模な前方後円墳前方後円墳(巨大化, 周囲に濠や陪塚)近畿中央部は大規模な前方後円墳
墳丘の斜面に葺石墳丘の斜面に葺石墳丘の斜面に葺石
内部構造竪穴式石室・粘土槨・木棺・石棺竪穴式石室・木棺・石棺横穴式石室が全国に普及
副葬品銅鏡・玉・碧玉腕飾り・鉄製武器・農工具など呪術的なもの刀剣・甲冑など鉄製の武器・武具・馬具・冠・金銅製装身具など軍事的なもの武具・馬具のほか飲食用の土器などに事情生活の用具が中心
被葬者司祭者的性格武人的性格
埴輪円筒埴輪形象埴輪円筒埴輪・形象埴輪
実例ホノケ山古墳(奈良県)大仙陵古墳(大阪府)石舞台古墳(奈良県)
箸墓古墳(奈良県)誉田御廟山古墳(大阪府)藤ノ木古墳(奈良県)
石塚山古墳(福岡県)五色塚古墳(兵庫県)新沢千塚古墳群(奈良県)
黒塚古墳(奈良県)造山古墳(岡山県)岩瀬千塚古墳群(和歌山県)
主な出来事ヤマト政権成立5世紀の初めから約1世紀の間、倭の五王が中国の南朝に朝貢527 磐井の乱
391 倭軍が百済・新羅を破る592 推古天皇即位
参考資料: 新詳日本史―地図資料年表

大規模な古墳はいずれも2〜3段程度の段築がみられ、各段の上部には平坦面(テラス)が認められる。各段の傾斜面には葺石ふきいしが施されるのが一般的で、また墳丘の周りには1〜2重のほりをめぐらしたものが多い。
ただし、濠の多くは空濠で、水をたたえた濠をめぐらす古墳は近畿地方の大型古墳に多い。各段上のテラスや墳丘の頂部、さらには濠の外堤の上には円筒埴輪列がめぐらされ、また墳頂部には家形埴輪や盾・ゆき(背中に負う矢筒)・きぬがさ(貴人にさしかける笠)などの器財埴輪が円筒埴輪とともに並べられた。
中期の後半以降はこれに人物埴輪や動物埴輪が加わる。

埴輪

埴輪は弥生時代後期の吉備地方の墳丘をもつ首長墓などに供献くげんされた特殊壺・特殊器台の流れを引く円筒埴輪・壺形埴輪・朝顔形埴輪とさまざまなものを形どった形象埴輪に大別される。
形象埴輪はさらに家形埴輪、器財埴輪、人物・動物埴輪にわけられる。
このうち家形埴輪や器財埴輪は前期のなかごろから現れ、人物・動物埴輪は中期の後半以降に出現するものである。
器財埴輪のうち家形埴輪は古墳の埋葬施設の上に建てられるところから死者の霊の依代よりしろとも考えられ、器財埴輪はそれを取り巻くように並べられるところから、蓋はそこが聖域であることを示し、盾・ゆきなどの武器・武具は死者の霊を守るものとして立てられたのであろう。
中期後半に現れる人物埴輪や動物埴輪の群像については、モガリ儀礼(人の死後、埋葬までの期間に行われる儀礼)、あるいは葬列を表現したもの、首長霊・首長権継承儀礼を表現したもの、被葬者の生前のマツリゴトのさまを表現したものとする説などが提起されている。

埴輪の種類

特殊器台円筒埴輪家形埴輪船形埴輪盾形埴輪靫形埴輪蓋形埴輪人物埴輪
特殊器台円筒埴輪家形埴輪船形埴輪盾形埴輪蓋形埴輪蓋形埴輪人物埴輪
左右にスクロールします。

死者を葬る埋葬施設のうち中心的な施設は、前方後円墳・前方後方墳の場合は後円部・後方部に営まれた。
前期から中期には、木棺や石棺を竪穴式石室に納めたもの、棺を粘土で覆った粘土槨、あるいは棺をそのまま土壙に納めたものなど、竪穴系のものが営まれる。
ただ九州では、中期になると朝鮮半島の影響によって出現した横穴式石室やその影響を受けた横穴系の埋葬施設が多くなる。
なお、木棺には丸太を半裁して内部をくり抜いた割竹形木棺、それが変形した舟形木棺、さらに板材を組み合わせた組合式木棺などがある。
また前期後半以降、それらを石でつくった割竹形石棺・舟形石棺・長持形石棺も現れる。

副葬品も、前期には装身具である勾玉・管玉などの玉類のほか、多量の銅鏡、南海産の貝の腕輪に起源をもつ腕輪形石製品(鍬形石・車輪石・石釧)、鉄製の武器や農工具など呪術的色彩の強いものが多い。
このことは、この時期の古墳の被葬者、すなわち各地の首長たちが司祭者的な性格をもっていたことを示している。
これに対し、中期になると玉類や鏡や鉄製農工具も残るが、鉄製武器や短甲・冑などの武具の占める割合が高くなり、さらに前期にはみられなかった馬具なども加わって、被葬者の武人的性格が強まったことをうかがわせる。

こうした古墳のなかでも、最も大規模な古墳は、前期から中期、さらに後期にいたるまで一貫して近畿地方中央部の奈良盆地と大阪平野に営まれた。
前期で最大の規模をもつ古墳は、奈良県天理市の柳本古墳群中にみられる渋谷向山古墳(現景行天皇けいこうてんのう陵)であり、中期で最大のものは大阪府堺市の百舌鳥古墳群中の大仙陵古墳(現仁徳天皇にんとくてんのう陵)である。
こうした奈良盆地や大阪平野の巨大な古墳は、それぞれの時期ではほかの地域の古墳から隔絶した規模をもち、各地の首長たちの連合であるヤマト政権の盟主、すなわち大王の墓と考えられる。

ただ古墳時代の前期から中期にかけて、近畿中央部の奈良盆地や大阪平野以外の地域でも相当大規模な前方後円墳が造営されていたことも重要である。
とくに中期には岡山県岡山市造山古墳、同総社市作山古墳など巨大な前方後円墳がつくられたほか、宮崎県南部や京都府北部の丹後地方、群馬県にも大規模な前方後円墳が造営された。このことは近畿を中止とする政治連合のなかで、岡山県(吉備地方)、宮崎県(日向地方)、群馬県(上毛野地方)などの勢力が重要な位置を占めていたことを物語る。

大仙陵古墳(現仁徳天皇陵)

大仙陵古墳(仁徳天皇陵)
大仙陵古墳(仁徳天皇陵)Source: Google Map

日本列島で最大の規模をもつ古墳。墳丘の長さが486mの前方後円墳で、墳丘の周りに二〜三重の周濠をめぐらしている。
さらにその外側の陪塚ばいづか陪冢ばいちょう)が営まれている区域をも含めると、その墓域は80haにも及び、その築造には、最盛時で1日あたり2000人が動員されたとして、延べ約680万人の人員と、約16年の歳月が必要であったと計算されている。
明治初年に前方部前面の中腹から長持形石棺を納めた竪穴式石室が発見され、金銅製の眉庇付冑まびさしつきかぶと短甲たんこう、ガラス器、鉄刀などが出土したと伝えられている。
また、後円部の墳頂部にも長持形石棺を納めた竪穴式石室があったらしい。墳丘や外堤に立て並べられた円筒埴輪の形式などから5世紀前半頃の古墳と考えられており、5世紀初頭と想定される仁徳天皇とは時代がやや食い違う。その被葬者が大王であることは疑いないが、それが誰であるかは不明である。

参考

created by Rinker
¥2,750 (2019/11/22 12:42:41時点 Amazon調べ-詳細)