大衆文化の芽ばえ – ジャーナリズム
新聞は第一次世界大戦や関東大震災などの大事件を通じて急速に発行部数を拡大し、大衆商業紙としてめざましい発達をとげ、文化の普及や政治の民衆化に大きな役割を果たすようになった。出版界でも低価格の出版物が大量に供給され、ラジオ放送も始まり、日本放送協会が設立された。
大衆文化の芽ばえ
ジャーナリズム
社会の大衆化に鋭敏に反応し、またその大衆化をいっそう進展させる役割を果たしたのは、ジャーナリズムの発達であった。新聞はこの時期、第一次世界大戦や関東大震災などの大事件を通じて急速に発行部数を拡大し、大正末期には『大阪朝日新聞』『大阪毎日新聞』『東京朝日新聞』『東京日日新聞』の4大紙が、おおむね1日100万部前後に達した。このように有力新聞は、いわゆる大衆商業紙としてめざましい発達をとげ、文化の普及や政治の民衆化に大きな役割を果たすようになったが、同時にセンセーショナリズムの傾向を深め、「政治や社会の情緒化」をもたらすことにもなった。
また、『中央公論』『改造』『文藝春秋』なとの各種の総合雑誌や、毎月の発行部数が100万部を超す大衆雑誌『キング』などの月刊雑誌が発展をみせ、週刊誌が出現するようになったのも、大正末期から昭和初期にかけてであった。出版界でも『現代日本文学全集』をはじめ1冊1円の文学全集(いわゆる円本)や文庫本(岩波文庫)などが盛んに刊行され、低価格の出版物が大量に供給されるようになった。
こうした活字文化ばかりでなく、新しいメデイアとして1925(大正14)年から東京・大阪・名古屋でラジオ放送が始まり、翌年には放送事業を統合して日本放送協会が設立された。ラジオ放送はニュ一スの速報や標準語の普及に大きな役割を果たした。伝統的な国技である相撲に加えて、明治時代に日本に伝えられた野球が、全国中等学校優勝野球大会(1915~、現在の全国高等学校野球選手権大会)の開始により人気を集め、また国際オリンピック競技会に、日本が1912(明治45)年以来参加するなど、スポ一ツが大衆的な関心を集めるようになったのも、新聞報道やラジオ放送などのマス=メデイアの発達によるところが大きい。