大衆文化の芽ばえ - 文学
文学と作品 ©世界の歴史まっぷ

大衆文化の芽ばえ – 文学 1921(大正10)年に創刊された雑誌『種蒔く人』を中心に自然発生的な労働文学を目的意識的な革命文学へ組織することをめざしてプロレタリア文学運動が思想啓蒙の運動として進められた。思想界に大きな影響を与えたが、反面、政治を芸術に優越させる理論は芸術独自の価値と役割を失わせ、政治的分裂を文学運動にもち込む結果を招いた。

大衆文化の芽ばえ

文学

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文芸思潮の面では、1910年代になると自然主義がしだいに衰退し、武者小路実篤むしゃのこうじさねあつ(1885〜1976)・有島武郎ありしまたけお(1878〜1923)・志賀直哉しがなおや(1883〜1971)・有島生馬ありしまいくま(1882〜1974)らの白樺派しらかばはが華々しい活躍をみせ、文壇の中心となった。彼らはいずれも上流階級の出身で、洗練された都会的感覚と西欧的教義を身につけ、雑誌『白樺』(1910年創刊)を中心に創作、評論活動にあたり、明るい人道主義的作風で世に広く受け人れられ、また単に文学の分野ばかりでなく西洋美術の紹介にも貢献した。白樺派とならんで明治末期から永井荷風ながいかふう(1879〜1959)・谷崎潤一郎たにざきじゅんいちろう(1886〜1965)らの耽美派たんびは唯美派ゆいびは)の作家たちが、官能美・感覚美に満ちた多くの作品を発表した。 これにやや遅れて、芥川龍之介あくたがわりゅうのすけ(1892〜1927)・久米正雄(1891〜1952)・菊池寛きくちかん(1888〜1948)らが理知的な作風で鋭く現実をとらえた作品を発表して文壇にデビューした。彼らは第3次・第4次の『新思潮しんしちょう』(1914、1916〜17)によって活躍し、新思潮派・新現実派・新理知主義派などと呼ばれた。 1920年代には社会的変動を反映して、白樺派の楽天的な人道主義や新現実派の小市民的思考はしだいに行き詰まりをみせ始めた。有島武郎や芥川龍之の自殺はその象徴であった。また大衆文学が、新間や大衆雑誌を発表の舞台として、多くの読者を獲得していった。中里介山なかざとかいざん(1885〜1944)がその先駆をなし、久米や雑誌、『文藝春秋』を創刊してその経営にあたった菊池は、大正末期以降、大衆小説作家として名をなした。 このようななかで、プロレタリア文学運動が思想啓蒙の運動として登場した。これは、1921(大正10)年に創刊された雑誌『種蒔く人』を中心に、青野季吉あおのすえきち(1890〜1961)・平林初之輔ひらばやしはつのすけ(1892〜1931)らによって、自然発生的な労働文学を目的意識的な革命文学へ組織することをめざして進められた。その統一組織として、1925(大正14)年、日本プロレタリア文芸連盟が結成され、雑誌『文芸戦線』を中心に活動したが、活動方針の対立から、翌年、日本プロレタリア芸術連盟に改組された。その後、何回かの分裂を経て、1928(昭和3)年には全日本無産者芸術連盟(ナップ、機関誌『戦旗』)、さらに1931(昭和6)年にこれが解散し、日本プロレタリア文化連盟(コップ)が結成された。作家としては『蟹工船かにこうせん』の小林多喜二こばやしたきじ(1903〜33)。『太陽のない街』の徳永直とくながすなお(1899〜1958)をはじめ、宮本(中条)百合子(1899〜1951)・葉山嘉樹はやまよしき(1894〜1945)・中野重治(1902〜79)らが名高い。こうして、プロレタリア文学運動は思想界に大きな影響を与えたが、反面、政治を芸術に優越させる理論は芸術独自の価値と役割を失わせ、政治的分裂を文学運動にもち込む結果を招き、政府による取締りの強化もあって、1930年代に入るとしだいに衰えた。