大衆文化の芽ばえ – 芸術 – 演劇・映画・音楽 日本オペラ創成期のプリマドンナ・三浦環は1903年、東京音楽学校在学中に日本人によるオペラ初公演となる歌劇「オルフォイス」に出演し、翌年卒業すると東京音楽学校の助教授となった。ドイツへ留学し、第一次世界大戦中には欧米各地で「蝶々夫人」を演じて好評を博し、イタリアでは作曲家プッチーニの知遇を得た。1935年、イタリアのパレルモで「蝶々夫人」2000回出演の記録をつくった。
大衆文化の芽ばえ
芸術
演劇

映画
明治後期に始められた映画は、大正時代に新しい大衆娯楽として発展した。当時は活動写真と呼ばれ、まだ無声で、弁士が画面の情景を説明するものであった。1910年代から20年代にかけて、日活・松竹キネマ・東宝などの映画会社がつぎつぎと設立され、多くの作品を製作して大衆から歓迎された。1930年代に入ると音声つきのトーキーが現れた。音楽
音楽では、明治時代以来の唱歌とともに、童謡が人気を集めて広く歌われるようになり、山田耕作(1886〜1965)らが、作曲や演奏に活躍した。宮城道雄(1894〜1956)が箏曲に新境地を開き、オペラのソプラノ歌手三浦(柴田)環(1884〜1952)が「マダム・バタフライ」などで主役を演じ、国際的に名声を博したのも、大正時代から昭和初期にかけてであった。明治時代には蓄音器が外国から輸入されたが、明治末期には円盤式蓄音器の国産が始まり、大正後期にはレコードが大量に売れるようになり、音楽の普及、とりわけ流行歌の大衆的な広まりに大きな役割を演じた。

三浦環は日本オペラ創成期のプリマドンナである。1903年、東京音楽学校在学中に日本人によるオペラ初公演となる歌劇「オルフォイス」に出演し、翌年卒業すると東京音楽学校の助教授となった。ドイツへ留学し、第一次世界大戦中には欧米各地で「蝶々夫人」を演じて好評を博し、イタリアでは作曲家プッチーニの知遇を得た。1935年、イタリアのパレルモで「蝶々夫人」2000回出演の記録をつくった。
こちらで視聴できます。