桂園時代 日露戦争後、藩閥・官僚勢力や陸軍をバックとした桂太郎と、衆議院の第一党である立憲政友会の総裁西園寺公望とが「情意投合」して交互に内閣を組織するというかたちが続き、いわゆる桂園時代が訪れた。
桂園時代
日露戦争を通じて、日本の国内政治にもいろいろな変化が現れた。日露戦争後の1906(明治39)年、第1次桂内閣は退陣し、第1次西園寺内閣が成立したが、これ以後、藩閥・官僚勢力や陸軍をバックとした桂太郎と、衆議院の第一党である立憲政友会の総裁西園寺公望とが「情意投合」して交互に内閣を組織するというかたちが続き、いわゆる桂園時代が訪れた。山県有朋をはじめとする藩閥政治家の長老は元老として、各種の重要国務に参画し、後継首相の推薦などを通じて政界に隠然たる勢力をふるっていた ❶ 。❶ とくに山県有朋は軍部(陸軍)・高級官僚・枢密院・貴族院などの間にいわゆる山形閥をつくって、大きな政治的影響力を保持していた。
ー方、立憲政友会は原敬を中心に藩閥·官僚勢力と対抗し、これと妥協を重ねながらも、衆議院の第一党を確保し、鉄道・河川・港湾など地方の利益につながる問題を取りあげることによって、勢力地盤を拡大し、官僚や貴族院の一部にも勢力を及ぼした。
日露戦争後、軍部が中心となって大規模な軍備拡張計画が立案された。しかし、1907(明治40)年以後、不況が進み、国家の財政状態が苦しくなって財政整理が必要になると、軍拡計画も思うようには進まなくなった。