明治文化の特色
背景:近代国家の成立(議会政治と資本主義・欧米文化の摂取と消化)
時期:19世紀後半〜20世紀はじめ
特色:① 欧米文化の急速な需要:日本と西洋の混在 ② 政府の強い指導性:思想・教育面 ③ 国民による近代文化の発展:教育・交通・マスコミの発達
明治文化の特色
明治文化の特色
背景 | 近代国家の成立(議会政治と資本主義・欧米文化の摂取と消化) |
時期 | 19世紀後半〜20世紀はじめ |
特色 | ① 欧米文化の急速な需要:日本と西洋の混在 ② 政府の強い指導性:思想・教育面 ③ 国民による近代文化の発展:教育・交通・マスコミの発達 |
明治文化の特色は、第1に江戸時代以前の日本文化の伝統を受け継ぎながら、その上に、思想・学問·芸術など各分野にわたって急速に西洋の近代文化を受け入れて日本独特の新しい文化を築きあげたことである。
第2には、文化は当初、政府の指導育成のもとに発展したが、のちしだいに国民の自主的な努力によって国民文化として成長をとげたことである。このような文化の普及は、教育制度の充実、通信·交通機関の発達、ジャーナリズム・出版事業の活発化などに負うところが大きかった。
第3には、近代文化の特質として科学的精神の重要性の認識が高まったことである。それとともに、学問・文学·芸術などがいちおう政治·道徳・宗教から独立して発展した。もっとも、この点はまだ十分なものではなく、政治権力や道徳的見地から学問上の理論や学説がゆがめられることもしばしばあった。とはいえ江戸時代と比較すれば相対的にみて、学問・文学·芸術などの独立性がより強くなったことは確かである。
第4には、西洋近代文化の受容・発展があまりにも急速であったことから、ややもすると、それが上べだけの浅簿なものにおちいりがちだったことである。とくに、わが国における西洋近代文化の受容が、富国強兵をめざす近代国家の形成を最大の目的としたもので、必ずしも日本国民の生活に根ざしたものではなかっただけに、皮相的な模倣という性格はまぬがれず、かえって伝統的・日本的なものと、外来的・西洋的なものとのアンバランスをもたらし、文化的混乱を招いた面もあった。
知識人の西洋文化摂取の姿勢
明治時代前期には、積極的な西洋文化の摂取や近代的変革の進行に伴って、日本の知識人の間に、日本の歴史や伝統的な文化を軽視する傾向が広まった。それはちょうど第二次世界大戦後の日本で、一時、知識人の問に戦前の日本に対する全面的な否定的評価が流行したのと、よく似た現象であった。
ベルツはそうした現象をつぎのように観察し、自国の固有の歴史や文化を軽視するようなことではかえって外国人たちの信頼を得られないだろうと批判している。
「ところが、何と不思議なことには一現代の日本人は自分自身の過去について、もう何も知りたくはないのです。それどころか、教養ある人々はそれを恥じてさえいます。『いや、何もかもすっかり野蛮なものでした(言葉そのまま!)』とわたしに言明したものがあるかと思うと、またあるものは、わたしが日本の歴史について質問したとき、きっぱりと『われわれには歴史はありません、われわれの歴史は今からやっと始まるのです』と断言しました。(中略)こんな現象はもちろん今日では、昨日の事柄いっさいに対する最も急激な反動からくることはわかりますが、しかし日々の交際でひどく人の気持を不快にする現象です。それに、その国土の人たちが固有の文化をかように軽視すれば、かえって外人たちのあいだで信望を博することにもなりません」(『ベルツの日記』1876年10月25日)。