生活と信仰
勧進大相撲土俵入之図(歌川国芳筆/画像出典:東京都立図書館

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繁栄する江戸を中心に、衣食住や娯楽の多方面にわたる都市文化が開花した。精巧な織物や手のこんだ装身具、ぜいたくな料理と初物の嗜好など、華やかな生活文化が展開した。

生活と信仰

化政文化 民衆文化の成熟

娯楽芝居小屋(歌舞伎・人形浄瑠璃)・猿廻し・万歳
見世物小屋・遊郭・銭湯・髪結床
読本・人情本・滑稽本・勧進相撲
縁日・開帳・富突(富くじ)など
旅行湯治・物見遊山など庶民の旅、江戸・京都・浪速などの『名所図会』が刊行される
信仰農山漁村などにおける同業者集団が結んだ組織
寺社参詣では代参もおこなわれる(富士講・伊勢講など)
寺社参詣伊勢参詣(御陰参り)・善光寺参り・金毘羅参りなど
巡礼西国三十三カ所(観音信仰)・坂東三十三ヶ所・四国八十八カ所遍路など
民間信仰荒神信仰・七福神信仰・流行神・氏神などの信仰
日待講・月待講・庚申講など
五節句の祝賀:人日(1/7), 上巳(3/3), 端午(5/5), 七夕(7/7), 重陽(9/9)
参考:山川 詳説日本史図録 第7版: 日B309準拠

繁栄する江戸を中心に、衣食住や娯楽の多方面にわたる都市文化が開花した。精巧な織物や手のこんだ装身具、ぜいたくな料理と初物の嗜好など、華やかな生活文化が展開した。「世の中が芝居のまねをする」といわれたほど、歌舞伎は大きな影響を社会に与え、江戸三座のほか寺社境内に20数力所に及ぶ芝居小屋があった。

寺社境内や広小路、防火用の空地などには見世物小屋が立ち、野外でもさまざまな芸能が演じられ、盛り場として賑わった。講談·落語・曲芸などが演じられらる寄席よせは、1841(天保12)年に寺社境内も含めて233軒もあるほど人気を呼び、さらに銭湯や髪結床も庶民の娯楽の場となった。

化政文化の特色
寺社が堂塔の修復費などを得るために実施。図は木箱に入れた木札を寺僧が錐で突いて抽選を行なっているようす。最高賞金額は百両が一般的で、中には三百両の賞金もあった。「萬々両札のつき留」(© 日本銀行 /画像出典:日本銀行金融研究所貨幣博物館

寺院は修繕費や経営費を得るため、縁日開帳を催して民衆を境内に集めようとした。開帳とは秘仏を公開することであるが、都市の発展とともに地方の寺社が出張して行う出開帳も広く行われ、現在の宝くじに似たばくち興業である富突とみつき(富くじ)も盛んであった。

歌川広重
伊勢参宮宮川の渡し(歌川広重筆/WIKIMEDIA COMMONS)©Public Domain

伊勢神宮への集団参拝のことを御蔭参りと称し、親や主人の許可も得す旅行手形も用意せずに家を出たので、抜参りともいつた。江戸時代の参詣者の数としては、1705年の約370万人(この数字は武士をのぞく全人口の約14%に当たる)1771年の約200万人、1830年の約500万人という記録がある。この年はとくに御利益があるとされた「御蔭年」で、おおむね60年周期で回ってくると信じられていた。図は伊勢参詣者のみそぎの川である宮川の渡し(現伊勢市)の賑わう様子。 参考:山川 詳説日本史図録 第7版: 日B309準拠

湯治とうじ物見遊山ものみゆさんなどの庶民の旅も流行し、伊勢神宮·善光寺・金毘羅宮などへの寺社参詣も盛んで、多数の民衆が爆発的に伊勢神宮に参詣する御蔭参りおかげまいりも、江戸時代を通じて数回おこった。また、西国三十三カ所・四国八十八カ所などの聖地・霊場をめぐる巡礼も盛んで、さらに、端午や七夕などの五節旬、彼岸会ひがんえ盂蘭盆会うらぼんえなどの行事、特定の日に日の出や月の出を待つ日待ひまち月待つきまち庚申講こうしんこうなどの集まりは、民間信仰であるとともに娯楽でもあり、町や村を訪れる猿廻しや万歳まんざい、盲人の瞽女ごぜや座頭の歌は、人々にとって楽しみでもあった。

御陰参り

ほぼ60年周期でおこったが、大規模なものは1705(宝永2)年、1771(明和8)年、1830(天保元)年の3回で、参詣者は1771年には約200人、1830年には約500万人に達したといわれる。伊勢神宮のお札が降るなどを契機として始まるが、参詣者のなかには、子は親の、妻は夫の、奉公人は主人の許可なくこっそりでる抜参りぬけまいりの者も多く、日常のさまざまな束縛や規制からの解放を願う面があったとされている。趣向を凝らした衣装を着て、歌い踊りながら道中を歩く者もあり、沿道の富裕者は飲食物をふるまった。

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