サンドロ・ボッティチェリ
サンドロ・ボッティチェリ(「東方三博士の礼拝」部分)(サンドロ・ボッティチェリ画/ウフィツィ美術館蔵)©Public Domain

サンドロ・ボッティチェリ


サンドロ・ボッティチェリ ( A.D.1444〜A.D.1510)

イタリアの画家。写実的な手法から官能美と繊細な装飾の手法に移行する。『プリマヴェーラ』と『ヴィーナスの誕生』が有名。ダンテの『神曲』の挿絵制作も手がける。
初期ルネサンスで最も業績を残したフィレンツェ派の代表的画家。フィリッポ・リッピの元で学び、メディチ家の保護を受け、宗教画、神話画などの傑作を残した。

サンドロ・ボッティチェリ

メディチ家の庇護下で時代のスターとなった画家

「ヴィーナスの誕生」はルネサンス絵画の最高傑作の一つである。ギリシア神話の美の女神ヴィーナスが、まさに海の泡から生まれる瞬間を、優美で官能的に描いている。その姿は女神というよりも、全裸でいることに恥じらいをみせる乙女であり、人間的な側面をうかがわせる。

幼い頃に金細工師の工房で彫金を学んだ後、絵画に転向し、22歳頃工房を始めたボッティチェリ。フィレンツェの支配者メディチ家の庇護を受け、ギリシアやローマの神々を優美に表現したその精神は、ルネサンスそのものといえるだろう。

だが、晩年は一変する。フィレンツェとメディチ家の退廃を攻撃し、処刑された托鉢僧ジロラモ・サヴォナローラ。その影響を色濃く受けて、神秘主義的傾向に走るのだ。ダンテの「神曲」の挿画や、キリスト教の宗教画や聖人、聖女しか描かなくなり、作品からは大らかさが失われていく。ついには仕事も辞めてしまい、孤独のうちに亡くなった。

略年表

  • 1444/45年 フィレンツェに生まれる
  • 1460年 フィリッポ・リッピに弟子入り
  • 1470年 画家としてデビュー
  • 1475年 「東方三博士の礼拝」制作
  • 1481年 システィナ礼拝堂の壁画制作のためローマへ
  • 1482年 この頃「プリマヴェーラ」制作
  • 1485年 「ヴィーナスの誕生」制作
  • 1510年 フィレンツェで死去
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装飾的様式の先駆者

イタリアの画家。写実的な手法から官能美と繊細な装飾の手法に移行する。『プリマヴェーラ』と『ヴィーナスの誕生』が有名。ダンテの『神曲』の挿絵制作も手がける。

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近代ヨーロッパの成立

ルネサンス

イタリア・ルネサンスの美術と天才たち

15世紀のフィレンツェは、マサッチオ(1401年〜1428年)、 ドナテッロ(1386年頃〜1466年)、ロレンツォ・ギベルティ(1381年頃〜1455年)、フィリッポ・ブルネレスキ(1377年〜1446年)、サンドロ・ボッティチェリ(1445年〜1510年)などすぐれた芸術家を生み出した。

マサッチオは北方のゴシックの流行を断ち切り、ジョット・ディ・ボンドーネ以来の伝統の上にルネサンス絵画を創始した。「 プリマヴェーラ」や「 ヴィーナスの誕生」などの作品で名高いサンドロ・ボッティチェリも、15世紀後半にフィレンツェで活躍した画家である。彼はフィレンツェでフィリッポ・リッピ(1406年〜1469年)やアンドレア・デル・ヴェロッキオ(1435年頃〜1488年)に学び、様式化した表現や曲線を生かした装飾的な構図のなかで独特の女性美や詩的な世界を描き出した。

イタリア・ルネサンスの美術と天才たち – 世界の歴史まっぷ

詳説世界史研究

ギャラリー

ギリシア・ローマ神話の神々が、中世のキリスト教化された身をやつした姿ではなく、古代における勇姿さながらに堂々と復活するにはルネサンスを待たねばならなかった。彼らを蘇らせたのがボッティチェリであった。『プリマヴェーラ』は、主人公のヴィーナスにまつわる神々を一堂に会させた神話画である。神々の生き生きとした表情、エロティックな肉体、三美神の思い想いのヘアスタイル。この作品はまさに人間らしさを追求した「ルネサンスの春」の象徴である。

参考 山川 詳説世界史図録

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サンドロ・ボッティチェリが登場する作品

ボルジア家 愛と欲望の教皇

サンドロ・ボッティチェリ(1445―1510)はルネサンス期フィレンツェの画家。本名はアレッサンドロ・ディ・マリアーノ・フィリペーピ。メディチ家の保護を受け、宗教画、神話画などの傑作を残した。代表作は、古代ギリシャの影響を受けた新プラトン主義哲学の思想を表わしている『プリマヴェーラ』、『ヴィーナスの誕生』など。メディチ家当主ロレンツォ・デ・メディチの死後、ドミニコ会の修道士サヴォナローラがフィレンツェの腐敗を批判し、政治への影響力を強めると、ボッティチェリも神秘主義的な宗教画を描くようになったが、サヴォナローラの反対派から、絵画の注文も受けている。ダンテ『神曲』の挿絵の一部はメディチ家の依頼だが、一部は最後期に制作されたともされる。サヴォナローラに心酔して絵画を捨て、自作を『虚飾の焼却』に差し出し、その後、1501年頃には制作をやめた。

ボルジア家 愛と欲望の教皇一族 セカンドシーズン 登場人物とあらすじ – 世界の歴史まっぷ

同時代の人物

狩野正信(1434〜1530)

狩野派の開祖。将軍足利義政の依頼で作品を描き室町幕府の御用絵師となる。漢画と大和絵を描きわけ、肖像画、仏画、障壁画など幅広い分野で活躍した。

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