ムラービト朝 ルーム・セルジューク朝 ムラービト朝 ガズナ朝 11世紀後半のイスラーム世界地図
11世紀後半のイスラーム世界地図 ©世界の歴史まっぷ

セルジューク朝


サーマーン朝

ブワイフ朝

ルーム・セルジューク長

ホラズム・シャー朝

セルジューク朝 A.D.1038〜A.D.1194

中央アジア起源のトルコ人イスラーム政権。1038年、トゥグリル=ベクが、ニーシャプールに建国。1055年ブワイフ朝の勢力を駆逐してバグダードに入城し、アッバース朝カリフからスルタンの称号を授かる。同族のトルコ人マムルークを採用して軍事を整え、イランからイラク・シリアにおよぶ広大な領域を支配下におさめ、十字軍がおこるきっかけとなった。12世紀の半ば過ぎになると各地の地方政権に分裂し、アラル海付近におこったホラズム・シャー朝によって1194年に滅ぼされた。

セルジューク朝

元来中央アジアのアラル海東方で遊牧を営んでいたトルコ系の人々が、イスラーム教に改宗し西アジアに移動して樹立した政権。トゥグリル=ベクが1055年バグダードに入城し、ブワイフ朝を倒してアッバース朝カリフからスルタンの称号を授かった。西アジア各地に勢力を広げ、小アジアに進出してビザンツ軍を撃破した。11世紀後半に一族がルーム=セルジューク朝を建てる一方、王位継承をめぐる内紛や遊牧部族の反乱もあって、同世紀末から衰退に向かった。

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首都:ニーシャプール、レイ、エスファハーン、コンヤ、メリヴ、ジェンド(正式な首都は判明していない)

イスラーム世界の形成と発展

イスラム王朝 17.イスラーム世界の発展 イスラーム世界の形成と発展
イスラーム世界の形成と発展 ©世界の歴史まっぷ

イスラーム世界の発展

東方イスラーム世界

北アジアから中央アジアに進出したトルコ人は、遊牧民としての伝統を受け継ぐ、すぐれた騎馬戦士集団であった。彼らは勇敢で、忍耐心に富み、馬上から自在に弓を射ることを得意としていた。アッバース朝のカリフは、これらのトルコ人をマムルーク(奴隷兵)として採用し、親衛隊を組織したが、その後のイスラーム諸王朝でも、異教徒の世界から奴隷商人をつうじてマムルークを購入し、軍隊の中核に据えることが一般化した。これも、イスラーム社会に特有な人材活用のひとつに数えることができる。

11世紀後半のイスラーム世界地図
11世紀後半のイスラーム世界地図 ©世界の歴史まっぷ

中央アジアで遊牧生活を送っていたトルコ人は、10世紀に入ると、人口増加の圧力をうけて西方への移住を開始した。彼らはアラル海付近に定着し、やがてイスラームの商人や神秘主義者との接触をつうじてイスラームに改宗した。トゥグリル=ベクに率いられたセルジューク族も、このようなイスラーム化したトルコ人の集団であった。
セルジューク朝(1038〜1194)を興したトゥグリル=ベク(1038〜1063)は、1055年、ブワイフ朝の勢力を駆逐してバグダードに入城し、アッバース朝カリフからスルタン(支配者)の称号を授けられた。
これ以降スルタンは、スンナ派イスラーム国家の君主の称号として広く用いられることになる。

セルジューク朝は、同族のトルコ人マムルークを採用して軍事を整え、イランからイラク・シリアにおよぶ広大な領域を支配下におさめた。またイラン人の宰相ニザームルムルク(ニザーム・アル=ムルク)は、ファーティマ朝によるシーア派の宣伝活動に対抗して、領内の主要都市につぎつぎとニザーミーヤ学院(マドラサ)を建設した。これらの学院ではスンナ派の神と教育をおこなうイスラーム世界の最高学府であった。

マドラサ
マドラサ
サマルカンドの3つのマドラサ。シール・ダル(右)、ティラ・カラ(中央奥)、ウルグ・ベク(左)がレジスタンジロバを囲んでいる。マドラサでは教授と学生が、一緒に住んで勉学に励んだ。 Wikipedia
ガザーリー(1058〜1111)

ラテン名はアルガゼル。イスラーム史上最も偉大な思想家として知られる。イランのホラーサーン地方に生まれ、法学や神学・哲学などを修めたあと、バグダードのニザーミーヤ学院教授に任じられた。しかし学問と信仰の統一になやんだガザーリーは、教授職を退き、長い放浪生活のすえに、イスラーム神秘主義こそ真理にいたる道であると悟り、この観点から『宗教諸学のよみがえり』を著した。その著作活動をつうじて、それまで批判の対象とされてきた神秘主義思想は、イスラーム信仰のなかに正しく位置づけられることになったのである。

十字軍がおこるきっかけは、セルジューク朝がシリアに進出し、イェルサレムを支配下においてキリスト教徒の巡礼を妨害したことにあるとされている。しかし事実は、セルジューク朝のシリア進出によって国境を侵害された東ローマ帝国が、ヨーロッパのキリスト教国にイスラームの脅威を訴え、救援を求めたことが原因であった。しかし強盛を誇ったセルジューク朝も、マリク・シャー1世(スルタン)の没後は次第に衰え、12世紀の半ば過ぎになると、王朝は各地の地方政権に分裂した。アッバース朝カリフを保護下においたイラクのセルジューク朝も、アラル海付近におこったホラズム・シャー朝(1077〜1231)によって1194年に滅ぼされた。

一方、同じトルコ人のカラハン朝(10世紀半ば〜12世紀半ば)は、東、西トルキスタンを統一して、中央アジアに初めてイスラームの思想と文化を導入した。

またアフガニスタンにおこったガズナ朝(962〜1186)は、11世紀初めころから北インドへの侵入を開始し、ガズナ朝第3代君主マフムード(ガズナ朝)(998〜1030)は、インド中西部のソムナートまで遠征して、「イスラームの擁護者」の名声を獲得した。

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戦争

  • 1040年 ダンダーナカーンの戦い ガズナ朝のマスウード1世を破りホラーサーンの支配を固める。
  • 1071年 マラズギルトの戦い 東ローマ帝国に勝利し、皇帝ロマノス4世ディオゲネスを捕虜とする。

第1回十字軍の編成 1096年

第3代スルタン マリク・シャー1世 (1055年-1092年) の時代 – 最大版図
セルジューク朝の権威はアナトリア、シリア、ヒジャーズに及び、東ではトランスオクシアナまで支配下に収め、セルジューク朝は中央アジアから地中海に及ぶ大帝国へと発展した。
トゥルクマーンの一集団がファーティマ朝から聖地イェルサレムを占領したことが西ヨーロッパに「トルコ人が聖地を占拠してキリスト教徒の巡礼を妨害している」という風評を呼び起こし、また東ローマ皇帝アレクシオス1世コムネノスがアナトリアの領土奪回のためローマ教皇に対して援軍を要請したため、1096年の第1回十字軍が編成されることになる。

参考 Wikipedia

文化

  • 行政ではペルシア系の官僚が活躍。
  • 宮廷の公用語はペルシア語
  • 詩人 – ウマル・ハイヤーム 「ルバイヤート」
  • ペルシア文学 – ニザーミー 「ホスローとシーリーン」「ライラとマジュヌーン」
  • 学校 – スンナ派 「マドラサ」

歴代君主

セルジューク朝(1038年 – 1157年)

  1. トゥグリル・ベグ(1038年 – 1063年)
  2. アルプ・アルスラーン(1063年 – 1072年)
  3. マリク・シャー1世(1072年 – 1092年)
  4. マフムード1世(セルジューク朝)(1092年 – 1094年)
  5. バルキヤールク(1094年 – 1105年)
  6. マリク・シャー2世(1105年)
  7. ムハンマド・タパル(1105年 – 1118年)
  8. アフマド・サンジャル(1118年 – 1157年)

ホラーサーン(1097年 – 1157年)

  1. アフマド・サンジャル(1097年 – 1157年)

イラク・セルジューク朝(1118年 – 1194年)

  1. マフムード2世(セルジューク朝)(1118年 – 1131年)
  2. ダーウード(1131年 – 1132年)
  3. トゥグリル2世(1132年 – 1134年)
  4. マスウード(イラク・セルジューク朝)(1134年 – 1152年)
  5. マリク・シャー3世(1152年 – 1153年)
  6. ムハンマド2世(1153年-1160年)
  7. スライマーン・シャー(1160年 – 1161年)
  8. アルスラーン・シャー(1161年 – 1176年)
  9. トゥグリル3世(1176年 – 1194年)

シリア・セルジューク朝(1085年 – 1117年)

  • トゥトゥシュ(1085年 – 1095年)
  • 1095年分割
    • ダマスカス
      1. デュカーク(1095年 – 1104年)
    • アレッポ
      1. リドワーン(1095年 – 1113年)
      2. アルプ・アルスラーン(1113年 – 1114年)
      3. スルターン・シャー(1114年 – 1117年)

ケルマーン・セルジューク朝(1041年 – 1187年)

  1. カーヴルト・ベグ(1041年 – 1073年)
  2. ケルマーン・シャー(1073年 – 1074年)
  3. スルターン・シャー(1074年 – 1075年)
  4. フサイン・ウマル(1075年 – 1084年)
  5. トゥーラーン・シャー1世(1084年 – 1096年)
  6. イーラーン・シャー(1096年 – 1101年)
  7. アルスラーン・シャー1世(1101年 – 1142年)
  8. ムハンマド1世(1142年 – 1156年)
  9. トゥグリル・シャー(1156年 – 1169年)
  10. バフラーム・シャー(1169年 – 1174年)
  11. アルスラーン・シャー2世(1174年 – 1176年)
  12. トゥーラーン・シャー2世(1176年 – 1183年)
  13. ムハンマド2世(1183年 – 1187年)

ルーム・セルジューク朝(1077年 – 1308年)

  1. スライマーン・イブン=クタルミシュ(1077年 – 1086年)
  2. クルチ・アルスラーン1世(1092年 – 1107年)
  3. マリク・シャー・イブン=クルチ・アルスラーン(1107年 – 1116年)
  4. マスウード1世(ルーム・セルジューク朝)(1116年 – 1156年)
  5. クルチ・アルスラーン2世(1156年 – 1192年)
  6. カイホスロー1世(1192年 – 1196年)
  7. スライマーン2世(1196年 – 1204年)
  8. クルチ・アルスラーン3世(1204年 – 1205年)
  9. カイホスロー1世(2回目、1205年 – 1210年)
  10. カイカーウス1世(1210年 – 1220年)
  11. カイクバード1世(1220年 – 1237年)
  12. カイホスロー2世(1237年 – 1246年)
  13. カイカーウス2世(1246年 – 1257年)
  14. クルチ・アルスラーン4世(1248年 – 1265年)
  15. カイクバード2世(1249年 – 1257年)
  16. カイホスロー2世(2回目、1257年 – 1259年)
  17. カイホスロー3世(1265年 – 1284年)
  18. マスウード2世(1284年 – 1285年)
  19. カイクバード3世(1285年)
  20. マスウード2世(2回目、1285年 – 1292年)
  21. カイクバード3世(2回目、1292年 – 1293年)
  22. マスウード2世(3回目、1293年 – 1300年)
  23. カイクバード3世(3回目、1300年 – 1302年)
  24. マスウード2世(4回目、1302年 – 1304年)
  25. カイクバード3世(4回目、1304年 – 1308年)
  26. マスウード3世(1308年)
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