ロンドン塔
ロンドン塔 Wikipedia

ロンドン塔


ロンドン塔

イングランドを征服したウィリアム1世が、1078年にロンドンを外敵から守るために、ローマ時代の砦の跡に堅固な要塞を建設。リチャード1世(イングランド王)が城壁の周囲の濠の建設を始め、ヘンリー3世(イングランド王)が完成させた。王の居住、または牢獄としても使用され、幽閉や処刑など幾度も英国史の舞台となった。世界遺産。

ロンドン塔

11世紀のウィリアム1世(イングランド王)が、ローマ時代の砦の跡に建設。その後二重の城壁と多くの塔や館が増築され、13の塔と不規則な六面形の二重の城壁をもつ現在の姿になりました。堀にはテムズ川の水が引かれています。王の居住、または牢獄として使われていたこともあり、幾度も英国史の舞台となりました。

参考 Tower of London – UNESCO World Heritage Centre

沿革

1066年にイングランドを征服したウィリアム1世(イングランド王)が1078年にロンドンを外敵から守るために堅固な要塞の建設を命じ、本体は約20年で完成した。その後、リチャード1世(イングランド王)が城壁の周囲の濠の建設を始め、ヘンリー3世(イングランド王)が完成させた。

長い歴史の間に国王が居住する宮殿として1625年まで使われ、その間、14〜19世紀にかけては、造幣所、天文台でもあり、1640年までは銀行、13世紀から1834年までは、王立動物園でもあった。なお、ロンドン塔に最後に居住した王はジェームズ1世(イングランド王)とされる。

また1282年からは、身分の高い政治犯を幽閉、処刑する監獄としても使用されはじめ、やがて14世紀以降は、政敵や反逆者を処刑する処刑場となった。第二次世界大戦中の1941年から1944年にかけては、対英和平交渉を結ぶべくドイツから単独で飛来し捕虜となったルドルフ・ヘスが幽閉された。

現在もイギリス王室が使用している宮殿であるが、ロンドン観光の目玉になるほど観光客も多く、内部にある建物の幾つかは、世界最大のダイヤモンド「偉大なアフリカの星」などさまざまな歴史的展示物を陳列して、見学できるようになっている。1988年にはユネスコの世界遺産に登録されている。すぐ近くには、世界的にも有名な跳ね橋であるタワーブリッジがある。

構成

ホワイト・タワー:ロンドン塔の天守閣にあたる建物。
ミドル・タワー
ベル・タワー
トレイターズ・ゲイト(叛逆者の門)
セント・トーマス・タワー
ソルト・タワー
ブラッディー・タワー
クイーンズ・ハウス
ビーチャム・タワー
セント・ピーター・アド・ヴインキュラ礼拝堂
ウォータールー館
ロンドン塔
ロンドン塔見取り図 Wikipedia
ロンドン塔
ロンドン塔模型 Wikipedia

ロンドン塔で処刑された人々

ロンドン塔は監獄でもあったことから、ここで処刑もしばしば行われた。

  • 1471年 ヘンリー6世(イングランド王)ランカスター朝最後の王。バラ戦争ヨーク朝エドワード4世(イングランド王)に捕らえられ、暗殺される。
  • 1483年 エドワード5世(イングランド王)リチャード・オブ・シュルーズベリー(ヨーク公):共にエドワード4世(イングランド王)の王子。父の死後ロンドン塔に連れ込まれたまま行方不明となった。王位を簒奪したリチャード3世(イングランド王)が殺害したとされる。1624年に二人の子供の骸骨が発見されている。
  • 1535年 ジョン・フィッシャートマス・モア:1番目の王妃と離婚するためにローマ・カトリック教会との縁を切って新しい教会を作ろうとしたヘンリー8世(イングランド王)の政策に反対したため、反逆罪に問われて処刑された。
  • 1536年 アン・ブーリン:ヘンリー8世(イングランド王)の2番目の王妃。姦通罪などにより城内のタワー・グリーンで処刑された。アンに着せられた姦通などの罪は濡れ衣であったとされ、ロンドン塔には今でもアン・ブーリンの亡霊が出ると噂される。
  • 1540年 トマス・クロムウェル:ヘンリー8世(イングランド王)を支えた宰相。クロムウェルの推挙により4番目の王妃としてイングランドへ輿入れしてきたアン・オブ・クレーヴズをヘンリー8世(イングランド王)が気に入らず、わずか半年ほどで離縁。クロムウェルもこの責任を取らされてタワー・ヒルで処刑された。
  • 1542年 キャサリン・ハワード:ヘンリー8世(イングランド王)の5番目の王妃。アン・ブーリンと同様に姦通罪に問われ、不貞の手引きをしたとされる女官のロッチフォード子爵未亡人ジェーン・ブーリンと共にタワー・グリーンで処刑された。
  • 1554年 ジェーン・グレイ(イングランド女王):ヘンリー7世(イングランド王)の曾孫。エドワード6世(イングランド王)の死後、有力貴族の思惑でイングランド女王に擁立されたが、メアリー1世(イングランド女王)に敗れ9日間で廃位。タワー・グリーンで処刑された。なお夫ギルフォード・ダドリーも同日タワー・ヒルで処刑された。
  • 1601年 ロバート・デヴァルー(第2代エセックス伯):エリザベス1世(イングランド女王)の寵臣。反乱を企てたためタワー・グリーンで処刑された。

ギャラリー

ロンドン塔
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ロンドン塔
1737年に出版された版画「ロンドン塔の南の眺め」(Samuel and Nathaniel Buck作/大英博物館蔵)©Public Domain

ロンドン塔
ロンドン塔に幽閉され、「獄屋の歌」を残したシャルル・ド・ヴァロワ (オルレアン公)(大英図書館蔵)©Public Domain

参考 Wikipedia

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